cuc_V&V_第53号
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1153挙げられるだろう。また、推計された国民所得の活用先が、その推計に必用な労力と比べるとまだあまり無かったという点も理由としてあっただろう。国民所得はケインズ経済学の出現とともに政策目標となる値へと変貌するが、それは20世紀の半ば近くになってからのことである。19世紀後半から20世紀前半になると、全国を対象とした全数調査(センサス)やそれに近い規模での大規模な統計調査が行われるようになり、経済の全体像を掴むことが可能になってきた。欧米諸国では19世紀から国勢調査が行われるようになった。我が国では、1909年に工業統計(当時の呼称は工場統計)が創始され、5年に一度、5人以上の規模の工場に対する調査が開始され、やがて毎年化した。そして、1920年には日本で初めてのセンサスである国勢調査が開始されている。同時期に、国民国家における経済規模把握の必要性も高まってきた。1920年代の末から各国の経済は世界大恐慌による深刻な不況に陥ることになるが、こうした不況からの回復策を検討するためには、そもそも経済がどの程度落ち込んでいるのかという数量的な把握が不可欠である。また、第一次・第二次世界大戦にみられたようにこの時期には戦争のあり方が総力戦へと変貌した。戦時経済の持続可能性を検討するためにも、国民経済の規模や各産業の生産能力を把握することが必要であった。このような理由から、1920年代から1930年代になると、世界各地において研究者だけでなく政府機関が国民所得の推計を行うようになり、各国経済の相互比較や時系列的な変化を分析する材料が徐々に揃っていった。この時期に世界的に参照されていた情報として、C.クラークによる各国の国民所得の推計がある。Clark(1940)をみると、各国の実質国民所得の比較検討が行われている。日本の動向をみると、民間・学界では土方成美や高橋亀吉らが明治期から昭和期を対象とした推計を行っていたようである(経済企画庁経済研究所国民所得部監修、1975)。官界では、内閣統計局が1925年、1930年、1935年を対象に国民所得の推計を行っている(浅野・後藤、1975)。現代のマクロ経済統計につながる形での国民所得推計を進めたのは、アメリカのS.クズネッツらをはじめとする全米経済研究所(NBER)の取り組みである。を他の様々な統計・資料から補完する必要がある。例えば、経済センサスでは個人経営の農林漁業事業者が調査対象外であるため、農林漁業の産出額推計にあたって農林業センサスや作物統計などの情報で補完することが行われている。さらに、SNAでは取引が発生せず、統計調査に現れてこない生産活動も計上されている。例えば、自社内で独自に開発されたソフトウェアや企業内における研究開発(R&D)の活動は、統計調査において取引額としては現れてこない。しかし、経済規模を測るというSNAやGDPの目的に照らし合わせるとこれは含めるべきであるとも考えられる。そこでSNAの国際基準ではこれらの産出額をエンジニアや研究者の人数や従事時間などに基づいて推計することを勧告している。このような作業が全産業を対象として行われた結果、マクロ経済指標としてのGDPの値は基礎統計とは離れた値となり、時系列でみた動向が基礎統計とは異なる推移を示すことさえある2。我々が実際に取引として目にするものだけでなく、金銭のやりとりが発生せず、我々自身も生産活動であると認識していないものまで、SNAやGDPには含まれている。それではなぜ、SNAやGDPはこのような加工を経た上で算出されているのだろうか。その理由は、これらの統計・指標がマクロ経済を分析することを目的として考案され発展してきたためである。次節では、マクロ経済を対象とした加工統計がどのように発展してきたかについて述べることにしたい。マクロ経済分析とGDPの発展3マクロ経済の水準を示す指標としては、数世紀前から国民所得(NI)という概念が用いられてきた。国民所得を推計する試みは、世界各地の経済学者、統計学者によって行われていたが、それらは国家の事業としてではなく、あくまでも研究者による個人的なものであった。最も早い時期のものとして17世紀末のグレゴリー・キングによる推計が知られている3。研究者らによる国民所得推計は、いずれも散発的なものであった。その理由は、統計が整備されておらず、計算機械も存在していなかった時代においては、これらの推計は多大な労力を伴うものであったという点が2このような現象は以前からみられ、腰原(1986)には石油ショック以降、生産動態統計等から作成される鉱工業生産指数(IIP)の動きとGNP、GDPの動きが乖離し始め、これが当時議論になっていたことが記されている。3Clark(1940)や経済企画庁戦後経済史編纂室編(1963)に国民所得推計の初期の事例について紹介されている。Coyle(2014)では、17世紀に国民所得を推計した人物として、ペティ=クラークの法則で有名なウィリアム・ペティの名前も挙げられている。特 集社会科学におけるデータ分析

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