cuc_V&V_第53号
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1253であり、彼はその業績により1984年にノーベル経済学賞を受賞している。ケインズ理論は、計量経済学という新たな学問分野の形成に寄与することにもなった。ケインズが『一般理論』で示したアイデアを、いくつかの方程式からなるモデルとして表す取り組みが後続の経済学者たちによって行われ、さらに、これらの方程式に含まれる係数を実際の統計から算出し、経済予測を行う取り組みがなされるようになった。計量経済学は既に1930年代から発展しつつあったが、上記のようなケインズ理論とそれを現実経済に適用しようとする動きが強まったことで、戦後に大きな発展を遂げた。マクロ経済をモデル化し、そこに実際のデータをあてはめて分析する方法は、政府の政策立案においてもとられるようになった。戦後になると、多くの国で経済計画が策定されるようになり、マクロ計量モデルによる将来予測が盛んに行われた(宮崎, 1971)。そのパラメーター推定のために用いられたのがSNAなどの各種の加工統計である。有名な国民所得倍増計画は、国民所得という加工統計の数値に目標を設定するものであり、社会科学における指標の一つであった国民所得が、ついに国家目標の地位にまで到達したといえる。また、戦後の西側諸国においてみられた総需要管理政策はSNAなどの加工統計無くしては成立しなかった。総需要管理政策を行うためには、まず総需要の把握が必用となるが、そのためにはSNAの整備することが必用となる。このように、総需要管理政策はSNAが整備されたことによって初めて成立する政策であったといえる。マクロ経済学の理論や計量モデルはその後、様々な変遷を辿ったが、そこで扱われる変数や使用されるデータは依然としてSNAやそれに関連する経済統計のものである。加工統計としてのSNA、GDPの特徴4SNAでは、国民経済の生産水準を示す概念として国民総生産(GNP)や国内総生産(GDP)が用いられる。我が国では1980年代頃までGNPが主な指標として用いられた。GNPは経済学における一概念という位置づけにとどまらず、経済規模を示す象徴的な言葉として一般にも知られることになった。1968年に日本彼らは民間消費、資本形成などといった国民所得を構成する項目の推計を押し進め、コモディティ・フロー法などの新たな手法の開発も行った。アメリカ経済の全容とその年次変動が初めて明らかになったのは、クズネッツらの功績である。経済学においては、1930年代におけるケインズの『一般理論』の登場と、それに続く国民所得分析の発展が、GDPやSNAを整備する画期となった。ケインズの『一般理論』では、失業、利子など経済の様々な側面が議論されているが、その重要な論点の一つに「国民所得の水準はどのように決定されるか」という点がある。ケインズの国民所得決定理論は、「国民所得分析」という分野へと発展し、現代では「マクロ経済学」と呼ばれている経済学の一分野となった。ケインズはさらに1940年の「戦費調達論」において、国民所得とそれに関連する変数との関係を勘定へと拡張した(Keynes, 1972)。ケインズとその周辺の経済学者たちによって、マクロ経済を勘定、会計として把握する取り組みが進められていった。IS−LMモデルを考案したことで知られるJ.R.ヒックスは、1942年に初版が出版された『経済の社会的構造』において、イギリス経済の構造を会計的枠組みを用いて記述することを提示し、これを社会会計(Social Accounting)と呼んだ(Hicks, 1971)。また、イギリス政府ではこれらの勘定と主要指標を実際に推計することを行い、1941年の白書においてこれらの計数が示された。この作業には当時若手の経済学者であったR.ストーンやJ.ミードが参加している。ケインズとそれに続く経済学者たちの活動は、マクロ経済を対象とした分析枠組みを構築し、これに基づき実際に計数を測定し、その情報をもとに経済政策を策定するというアプローチの確立に至った。こうしたアプローチは、現代のマクロ経済政策につながるものであり、経済学のあり方を大きく変貌させることになった。こうした取り組みは、戦後になるとさらに活発化する。国民所得やその勘定体系について、国際連合におい て枠組みの検討がおこなわれ、1953年に“A system of national accounts and supporting tables”という報告書が国連統計局から発表された。これがSNAである。SNAに関する検討はさらに続けられ、1968年に改定されたSNA(1968SNA)が公表された。こうした国際的な議論をリードしたのが前述のR.ストーン特 集社会科学におけるデータ分析

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