cuc_V&V_第53号
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4353トピックス『牛久のれん』は芸術祭を超えて、その後も現在に至るまで、それぞれの店先に毎日飾られ、街を訪れる人と店の家族との交流をうながしている。予期せぬ効果として重要だったのは、『牛久のれん』が住民の相互理解と親睦を深める仲立ちともなり、街の人間関係を動かしたことだった。『牛久のれん』プロジェクトは、ライフストーリーの「歌詞化と可視化」を試みたものであったが、それと同時並行で私たちは、もう一つの企画を展開した。商店街の老舗旅館・大津屋に暮らす女将(おかみ)のライフストーリーをもとに、その「歌詞化と楽曲化」に取り組む『大津屋きおくうた』プロジェクトである。どちらのプロジェクトも、街に生きる住民の「きおくうた」をベースにしたものであるが、歌詞と写真が相互に意味を引き出し合う重層的テクストが『牛久のれん』だとすれば、「きおくうた」を文字通り歌にした『大津屋きおくうた』は、メロディーや演奏、歌い方によって歌詞の意味合いが変化する生ものであった。旅館女将の人生を歌にする女将の名は、芙佐枝(ふさえ)さんという。1935(昭和十)年、市原市牛久に生まれた芙佐枝さんは、旅館大津屋の二代目女将の養子として旅館で育ち、三代目女将として牛久の街で宿を経営している。いくつもの意味の層が織り重なる表現形態のなかで、その基層となるのが女将の人生であり、彼女の人生が立ち上がっていく際の歴史的・社会的文脈であっ22017年6月24日、カルチュラル・タイフーン2017における上演後の質疑応答にて。3『大津屋きおくうた』作曲:河崎純、作詞:坪井聡志・後藤一樹、歌:三木聖香。河崎が楽曲に合わせて歌詞に修正をほどこしている。た。そうした根幹のレイヤーを、どうすれば表現として尊重できるのか。私たちは四苦八苦しながら、女将から聞き取った彼女の人生を歌詞にした。そして私たちは、国際的に活躍する作曲家・演出家・コントラバス奏者であり、「音楽詩劇研究所」を主宰する河崎純氏に、曲作りを依頼した。河崎は、女将が立つ人生の布置のなかに同じように自身が立つことの困難を感じながらも、彼女の感情と共鳴する過程で、それを音楽に変換していった。河崎はそのプロセスについて、こう語っている2。〔女将の〕感情というものと実際、共振するような感覚のなかで作っていくわけですね。実際、〔女将の〕インタビューは何千回と聞いて、口調が移るまでになってるんですね。で、その口調がまた、メロディーに生かされていくっていうのがあって。こうして出来上がったのが、楽曲『大津屋きおくうた』である。『大津屋きおくうた』は、以下のURLから聴くことができる。『SoundCloud(サウンドクラウド)』(https://soundcloud.com)で「大津屋きおくうた」と検索する方法でも、アクセスできる。楽曲『大津屋きおくうた』3https://soundcloud.com/user-801527365/sets/fsax5aybrth5『大津屋きおくうた』第一番 歌詞いろんな人が 泊っていった問屋に商人に 薬売りに兵隊に馬車が通って 砂煙が舞いそれはもう 賑やかだったそうよ そういう街だったのいろんな人が 働いていた身寄りのない娘 花街を転々と辿り着いたは 牛久のこの宿家族のように 暮らしたのそうよ この世の縁だから『大津屋きおくうた』歌メロディ楽譜「第一番」

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