cuc_V&V_第53号
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553から、本誌のテーマである社会科学におけるデータ分析としての経済学を垣間見たい。経済学は人々がどのような意思決定をするのかを研究する。他の社会科学と同様に経済学者も様々な問題に答えるときに仮説を設ける。そして、経済学者はモデルを用いて、経済現象の原因を説明する。その際、原因となるデータを用いて実証的に分析する。例えば、物価の上昇をみるときに、貨幣量の変化や消費の増加量に注目するだろう。近年、PCや統計ソフトの普及および高性能化やインターネットの発達などにより、様々なデータを取得し、分析することが容易になった。しかし、経済学は我々の生活そのものを研究対象とするため、自然科学のような実験が難しい。例えば、政府が18歳以下の国民に行う10万円の給付がわが国の経済活動にどのような影響を与えるのかを実験することはできない。なぜなら、過去の給付と現在の給付では、わが国の人口動態や経済状況や消費者の嗜好が異なるからである。ここが自然科学と大きく異なる点である。あるXという要因が及ぼす影響について、そのXの数値を変え、それ以外の環境(条件)は一定のもとで実験を行うことによって、そのXの影響を計測することが自然科学の実験では可能であろう。つまり、自然科学の実験では、その原因となるものをコントロールすることによって、結果の数値の変化から、その因果関係を読み取ることができる。だが、その他の環境(条件)を一定という状況を保って、こういった分析を行うことが、経済では難しい。なぜなら、経済状況は常に変化するし、分析を対象とする個々人が常に同じ誘因のもと行動を起こすとは限らないからである。このことから、経済では実験によって様々な要因の影響を明らかにすることが難しいとされていた。そして、そのことが、経済学の特徴の1つでもあった。そのような問題を乗り越えようとする研究が、近年多く出されている。例えば、マクロデータの欠陥をミクロデータで補おうとするジョン・ベイス・クラーク賞を受賞したカリフォルニア大学バークレー校の日系人のEmi Nakamura氏の貢献などは、注目に値する。彼女のような経済学における近年の挑戦的な研究の多くは、データ収集とその分析に基づいている。しかし、それらの研究の全てをこの紙面上で記すことは不可能である。よって、ここでは経済学の観点から社会にインパクトを与えた研究のいくつかを取り上げたい。具体的には、2021年と2019年のノーベル経済学賞を受賞した研究と、コロナ危機におけるわが国の経済分析のいくつか紹介することから、社会科学としての経済学の見方を紹介し、本誌のテーマについて経済学の観点からの一考察としたい。2021年度ノーベル経済学賞22021年10月に発表されたノーベル経済学賞は、David Card氏とJoshua D. Angrist氏とGuido W. Imbens氏の3人の米国人であった。これら3氏の共通する功績は、様々なデータから因果関係を推定するための方法を見出したことである。また、彼らは特に労働経済学において、「自然実験」と呼ばれるものを確立した。スウェーデン王立科学アカデミーはホームページ上でその授賞理由を公開している。前述のとおり、自然科学の実験と違い、一般に経済学者が注目する経済データは何らかの結果とは独立に決まらないため、因果関係を示すことが難しい。彼らは、いわゆるランダム化実験(randomised experiments)について、特にCard氏は労働市場と移民政策および教育についての研究が評価された。以下で、彼らの研究を簡単に紹介しよう。2.1 最低賃金に関する議論Card and Krueger(1994)は、最低賃金の引き上げによる雇用減少がないどころか、最低賃金を引き上げた地域において雇用量が少し増加していることを明らかにした。経済学の教科書では、労働市場において、最低賃金の引き上げによって労働の超過供給がより顕著になり、失業者が増加すると指摘されているが、それとは異なった結果がデータから明らかになった3 4。アメリカのニュージャージー州が時給の最低賃金を4.25ドルから5.05ドルに1992年に引き上げたことをその分析対象としている。この研究では、この最低賃3この研究を皮切りに、以降、多くの研究が行われていることはいうまでもない。4これへ反論する論文も多数書かれている。Neumark and Wascher(2000)は、別の賃金データを用いて分析をした結果、最低賃金の引き上げたところで雇用の減少がみられたことを示しており、Card and Krueger(1994)への批判をしている。もちろん、これへ対抗する論文も出されており、最低賃金の引き上げと雇用量に関する経済学者の間で意見の一致が十分になされているわけではない。特 集社会科学におけるデータ分析

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