cuc_V&V_第54号
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33写真1 奄美パークでの宮崎園長による講演年次の授業計画や学生生活の関係から見直し、2016年度からは秋学期の実施とし、11月の3クォーターと4クォーターの間に実施をしている。コロナ禍になった2020年には、1年生は入学式直後からオンラインによる講義となったが、奄美研修は秋に無事に実施することができ、この奄美研修で初めて顔を合わせる同級生がいて親睦が深まるなど、学習以外にも多くの意味をもつ研修となった。2021年度からは海外渡航が難しい状況もあり、フレッシュマンキャンプの代わりに奄美研修を入学式後のオリエンテーション期間中に実施している。本研修は、広く日本という国を捉え、その特徴や課題を考えることを主眼としている。日本という国を考えるときに、東京や大阪などの大都市だけで語ることはできないし、観光地のことを語るだけでも不十分である。特に日本は7,000もの島からなる島国であり、400ほどの有人島に人々が暮らしており、そのような離島での生活や自然環境について知ることは重要であると考えられる。ひとえに離島といっても、淡路島のように本州などと橋を通してつながっており、多くの人が生活している島もあれば、八丈島などのように東京からの直行便の就航している島もある。沖縄のように高度に観光地化され、国内外から多くの観光客が訪れる島もある。このように多くの島からなる日本では、島によって文化や自然環境が異なることが多く、その多様性が特徴である。本研修では、多くの島の中から鹿児島県の奄美大島を研修先として選定したが、その理由は大きく次の5点になる。1.「日本」の地域の中では歴史が複雑である、2.九州とも沖縄とも違う独特の文化、3.世界遺産となった豊かな自然、4.独特の生態系と多くの固有の生物、5.島の環境を生かした産業、である。奄美大島をはじめとする奄美群島は、奄美大島、喜界島、徳之島、加計呂麻島、沖永良部島、与路島、請島、与論島の有人島8島からなる。奄美群島とはいっても、それぞれの島には独特の特徴がみられ、例えば、「ありがとう」という言葉をみても、奄美大島では「ありがっさまりょーた」、徳之島では「おぼだられん」、喜界島では「うふくんでーた」、沖永良部島では「みへいでぃろ」、与論島では「とーとぅがなし」といったように異なる。また、徳之島は子宝の島として有名であり、現在の日本で特殊出生率が2を超えるまれな存在である。奄美大島は、東京から1,400km程度の距離にあり、鹿児島と沖縄本島とのほぼ中間に位置している。奄美群島の中心として機能しており、5つの市町村から構成されている。人口は6万人余りであるが、地方の例にもれず人口減少と少子高齢化が進んでいる。東京からは、かつては羽田空港発の日本航空の直行便しかなかったが、日本でLCCが設立されると、VanilaAirが成田空港からの直行便を就航させ、利便性が大きく向上した。奄美空港は周辺の島々へのハブ空港としても機能している。物資の輸送はフェリーが中心であり、鹿児島から奄美大島を経由して沖縄の那覇へ向かう便などが設定されている。また、沖縄本島のように観光地化が進んでいないため、豊かな自然が多く残されてもいる。2021年には沖縄県と共に世界自然遺産に登録された。海には珊瑚礁が広がり、潮間帯には日本で2番目の広さをもつマングローブ林が広がっている。砂浜にはウミガメが産卵に訪れる。陸上には毒ヘビのハブを頂点とする生態系が形成されており、島の成り立ちを反映した固有の生物が多く生息している。亜熱帯林が広がり、金作原には日本で最大のシダ植物であるヒカゲヘゴの群落が見られる。歴史的には、奄美群島は複雑な経緯を得てきている。その歴史は苦難に満ちたものであり、近代日本を支えた歴史でもある。奄美群島が歴史上、文献に現れるのは古く、7世紀頃には「ヤマト」の中央政権に認識されていたと思われる。奄美群島で取れる夜光貝が中央政権に献上されたとの記載が見られる。15世紀には沖縄本島に成立した琉球王国による侵攻を受け、その支配を受けることになる。琉球王国の時代には琉球文化が導入され、現在でも「ノロ」という巫女のシャーマニズム文化などが残っている。江戸幕府が成立すると、薩摩藩は琉球王国への侵攻2奄美とは何か

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