cuc_V&V_第54号
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54(出所)筆者作成。13 日本工業標準調査会前掲書 p.16。14 民主主義の定義としては、「全人民の主体的政治参加ないし、全人民による自発的秩序形成」(阿部斉(1991) 『概説現代政治の理論』 東京大学出版会, p.74)や「討論を媒介として社会成員の間に各種の対立を解決する一致点を見い出し、それを実行する政治的手法」(加藤寛「民主主義と厚生経済学」 加藤寛,丸尾直美編(1976) 『民主主義の経済学 : 紛争解決の理論と現実』 千曲秀版社, p.24)等、様々な角度から定義がなされている。15 角前掲書 pp.16-21図1 「社会的責任」とコンプライアンスの関係2  コンプライアンスと会計ディスクロージャーの位置関係 の原則と一致した基準、指針及び規範に基づいて行動すべき13」としている。これは上述したコンプライアンスの定義と凡そ一致している。したがって、JIS Z26000の「社会的責任」はコンプライアンスの概念を内包しつつそれを土台としているといえる(図1)。コンプライアンスは「社会的責任」の根幹であるからにして、もし違反すると「コンプライアンス違反」として「信頼」を失い不買運動等で社会的制裁を受ける他、企業価値の低下に繋がり実質的な経済的制裁を受けることもある。したがって、会計ディスクロージャーがコンプライアンスに位置付けられるか否かは慎重に判断すべきである。そこで、まず会計ディスクロージャーが、「社会的責任」であることを確認する。「持続的な発展に貢献する」には、もちろん資金を使わずに本業の中での様々な工夫で実現できるものもあるが、通常は相応の投資が必要であり、その実施を裏付けるものが計算書類等である。それらの投資が無理なく行われているのかを示すことは「組織の決定及び活動が社会及び環境に及ぼす影響」を「ステークホルダーの期待に配慮する」行動であり、当該会社の説明責任と言える。このように捉えた場合、会計ディスクロージャーは「社会的責任」の一つとして位置付けられる。次に、会計ディスクロージャーがコンプライアンスに位置付けられるかを確認する。上場会社の会計ディスクロージャーは金融商品取引法等で細かく定められており、これはコンプライアンスに他ならない。では、非上場会社の会計ディスクロージャーもコンプライアンスと位置付けられるだろうか。非上場会社の会計ディスクロージャーを現行法の枠組みの中で改めて定義すると、「決算公告」と「決算公告以外の計算書類等の開示」となる。前者は法定事項であり、コンプライアンスに位置付けられる。問題は、後者の決算公告以外の計算書類等の開示である。そこで、現在のわが国の政治制度が、民主主義を前提としていることに着目し、「民主主義社会」という分析枠組に基づいて考察してみる。民主主義とは、全ての国民が、自らのために、自己責任の下で、選挙等を通じて主体的に政治に参加し、国家をコントロールするシステムである14。その目的は、全国民が等しく幸福を追求する機会を得て、国民自らが決めたルールの下で各自が自由な活動を通じて幸福になる社会を実現することにあり、それにより国家としても成長し繁栄することにある。すなわち、民主主義は、このような理想とする社会を実現するための一手段であり、本稿ではこの手段を用いて実現しようとしている社会を「民主主義社会」と定義する。およそ「民主主義社会」においては、代表者による話し合いを通じて作られた規範の範囲内であれば自己責任の下で自由な取引が認められる。しかし、利害関係者が相手方である当該会社のことを知る手段がない状況下で、経済的取引における自己責任を一方的に負わせることは不合理であり、民主主義を揺るがしかねない。なぜなら、こうした経済的取引における株式会社間および株式会社と個人との間に生じる不平等は、「代表者による話し合い」に対する不信に繋がり、結果として「代表者による話し合い」を無価値にしてしまうからである。そうした不平等を極力なくし、「機会の平等」を実現するのが会計ディスクロージャーであり、民主主義社会を構成する一員として自由な取引をする「権利」に伴う「義務」といえる15。このように捉えた場合、会計ディスクロージャーは一種の「規範」であり、コンプライアンスと位置付けられる。しかし、多くの株式会社が決算公告すらしていないという実情を鑑みれば、決算公告以外の計算書類等の開示をしている会社はほとんどなく、これらの会社全てをコンプライアンス違反とすることはさすがに行き過ぎた感が否めない。コンプライアンスという概念にある程度の柔軟性が認められることと現実とを勘案す

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