View & Vision No55
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6816 MWG I/22-4, S.608=世良晃志郎訳『支配の社会学Ⅱ』創文社(1962)562頁。17 それは、パウロの「絶えず祈りなさい」(テサI; 5:1)に従い、労働を含め生のすべてを祈りとすることでもあろう。18 アガンベン、前掲『いと高き貧しさ』26頁。19 当初、教会の鐘による時間分割も、規準は何かと言えば、最初は日の出、南中、日の入りを基とする日時計が中心で、雨の日や夜間などに水時計や砂時計などを補助として計測された。20 裁量労働制が、時間的な裁量を認めながらも業務の質において労働者を極限状態に追いやるものであることは重大な問題だが、軽視されているように思われる。21 MWG I/22, S.248=世良晃志郎訳『都市の類型学』(創文社)282頁以下。度の諸原則に与えた影響であった。模範的な宗教人としての修道士は、――少なくとも合理化された禁欲をもつ修道会、なかんずくイエズス会の修道士は――同時に、特殊に「方法的」で、「分割された時間」と不断の自己統制によって、遠慮のないあらゆる「享楽」を拒否し、また「人間的」諸義務をとおして要求してくるベルーフの目的に奉仕しないあらゆることを拒否して、そう生きた最初の「職業人」であった16。修道生活の一般的「精神」と言っているが、ここは「理念」と言いかえてもよいところだろう。典型的にはそれは「祈りと労働」の精神と考えられる17。祈りも労働も含めて生活全体を規則に従わせることで、生のすべてを神に捧げることが目指されるようになった。通常の世俗的人間に、そのような生き方は不可能である。覚悟を決めた修道士にとっても、その生活は困難であるに違いない。だからこそ、孤独な隠修士ではなくベネディクト会のような共住の修道院での生活が重要で、そこでの厳しい戒律が定められたといえる。その厳しい規則についてアガンベンは、「その厳格さは古典古代には先例がなかっただけでなく、その非妥協的な絶対性において、おそらく近代のいかなる機関にも、テイラー・システムの工場でさえ、比肩するものはなかった18」とすら述べている。ヴェーバーの言い方に直せば、中世修道院とくに共住修道院において、「祈りと労働」の〈理念〉が歴史の方向を左右する転轍手となって、その軌道上で時間の分割がこの上もなく強力に推し進められ、古代にも近代にも例のない、時間=規則への絶対服従の態度が形成されたといえるだろう。先に見た引用においてヴェーバーは、規則に従う生活態度の形成に重要な要素として、「時間分割」に加えてもう一つ「自己統制」もあげていた。時間を分割することではじめて、事細かなスケジュール管理が可能となる。それは、享楽を排除し、神の召命/職業の目的から逸脱する瑣事を排除するうえで有益である。だからこそ修道院では、夜間も定期的に鐘が鳴らされた。一定間隔で規則正しく鳴り響く鐘の音は、修道士たちにいまは何をすべき時か悟らせるのである。しかし、平信徒はどうであろうか。自然条件に依存する農村生活はもちろんのこと、職人も欲望に駆られた生産性の向上などは考えていない。そんな中近世の平信徒たちにとって、時間で自己の身体活動を管理する/しなければならない、というのがいかに特異な生活スタイルであったことか19。だからこそ、規則で定められた時間を守り、自己管理も徹底し、享楽にふけることなく、仕事に無関係な要請を拒否する「職業人」へと転態する初発には、特別な動機が必要だった。修道士が「最初」の職業人だというのはつまり、その後がいるという意味である。それが他ならぬ近代資本主義の下でそう「あらざるを得ない」職業人である。現代に目を向ければ、時間で区切られずに働く労働者の方が、ごく一握りとなっている20。かつての特異な生活スタイルが現代では当たり前になっていること。この歴史的に希有な生き方の成立こそ、ヴェーバーがえぐり出した近代の病である――したがってそれは普遍的なものでも不可変の事態なのでもない、ということが明らかとなる。ヴェーバーの歴史社会学的考察は、経済、法、政治、宗教、都市、音楽等々と多領域にわたり、転換点における行為の動機を理解しながら、それぞれの展開が追跡されている。この独自の視点に立つがゆえに、異なる領域の考察を相互に関連づけることが可能となり、歴史的現実の多面的な展開を分析可能にしたのである。ここまで『プロ倫』の議論を軸に見てきた時間分割の問題も、単に中世修道院の宗教生活の問題というわけではない。ヴェーバーは修道院や教会が、都市の自治と緊張関係にあったことにも触れている21。ヴェーバーによれば、教会勢力は平信徒の労働力を内部に抱えていた。それは教会がさまざまな建物や販売所、水車などを有していたことを意味する。しかも免税特権をもち、都市の世俗的な経済政策からも切り離されていた。都市の自治に注目すれば、都市内の聖職者は都市の自治を脅かすものとして見えてくる。そのような両者の緊張に「終止符を打った」のは、宗教改革による修道院の否定であった。しかし、すでに自治都市の全盛時代は終わりを告げ、転轍手としての時間分割、利害関心による時間支配

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