View & Vision No55
15/50

格的な銀行業を反映しており、「銀行の顧客とその債務者の間で負債の相殺を行うという比較的複雑な債務決済の方法」(Lee 1972, p.56)が示されているという。また、当時のトスカーナにおける話し言葉で記録されており、この羊皮紙における特徴的な用語として以下の動詞が指摘されている(Sangster 2016, p.308)。1. お金を貸す(die dare = should give)、返済を受ける(die dato = has given)2. 預金を受け取る(die avire = should receive)、その返済(demo dato = we gave)3. 預金とローン口座間の振替(levammo = we took)、預金と他人の預金口座間の送金(ponemmo = we put)これらのうち、die dare(should give)とdie avire(should receive)という動詞が、借方を意味するdebitと貸方を意味するcreditの語源になったと指摘されており(Martinelli 1974)、Littleton(1926, 1931)は簿記の専門用語はこのような話し言葉から生まれたと結論付けている。以上のことから、複式簿記をいつ誰が生み出したのかという問いに対する1つの有力な答えはこれらの動詞である。これらの動詞は、売買でもなく、賃貸でもなく、授受に関わる動詞である。すなわち、これは銀行業に関する動詞であり、商業に関する動詞ではない。そのため、複式簿記の起源は商人ではなく、トスカーナの首都であるフィレンツェの銀行にあると主張される(Sangster 2016)。前節の通り、複式簿記が13世紀イタリアの都市国家で生まれたことは、今日広く認められている。実際、1494年に出版されたLuca Pacioliの『Summa』のParticularis de Computis et Scripturis(計算及び記録に関する詳説)という章で、複式簿記は200年以上前からベニスで使用されていたと記されている(Galassi 1996)。この『Summa』に象徴されるように、Luca Pacioliは複式簿記と近代会計の父と評されることが多い(Hatfield 1968, p.3)。特に、『Summa』の重要性は、その独創性よりも、同時期に登場した印刷技術により複式簿記という新しい知識をヨーロッパ中に普及させた影響力にあるといわれる(Sangster et al. 2011)。しかし、『Summa』の存在にも関わらず、一部の地域の商人は、ほとんど複式簿記を採用せず、単式簿記を採用していたという(Sangster 2018)。特に、北西ヨーロッパにおける簿記の慣習はハンザ同盟の慣例に従う傾向があり、ハンザ同盟の商人たちは、債務者、債権者、在庫を追跡し、代理人に責任を負わせることに限定された単式簿記システムを好み、資本という概念はほとんど意味を持たなかったという(Funnell and Robertson 2013, pp.53-56)。Edwards(1989)は、なぜ複式簿記の普及が遅れたのかという疑問に対して、商人が無知であったことや専門知識の欠如というよりも、企業からの強い要望がなかったことが最も有力な説明であると結論づけている(pp.56-57)。商人は、債務者、債権者、現金、在庫を追跡し、パートナー間で収益を分配し、ミスや不正を防ぐことができる、または代理人に責任を負わせ、法廷での証拠を提供することができる帳簿を必要としていたのである。したがって、商人たちにとって簿記の主な目的は、彼らの財産や権利を保護することであった。複式簿記の普及しなかったことは、単式簿記のみでこれらの目的を達成することができたこと、さらに言えば商人たちが複式簿記を生み出す動機がなかったことを示唆している。本稿ではヨーロッパ、特にイタリアに焦点を当て複式簿記に至るまでの歴史的展開を辿ってきた。古代ローマ時代から簿記や会計と呼ぶべきものが存在はしていたが、最終的には中世イタリアにおけるトスカーナのある銀行が複式簿記を生み出したと考えることができる。しかし、はじめに述べたように、その起源を明確に示す文献や証拠は未だ発見されていないため、この見解は複式簿記の起源に関する1つの論説にすぎない。本稿で強調したいことは、明確な文献や証拠がないからこそ、会計学における歴史分析では、限られた情報から当時の社会や文化的な背景について考察を行い、果てには当時用いられていた動詞にまで着目して、複式簿記の起源に迫ろうとしたということである。この他にも様々なアプローチで複式簿記の起源に迫る研究が蓄積されているが、最終的には複式簿記の本質はどこにあるのかという議論に行き着くことになる。13【補論】Luca Pacioliと複式簿記の展開6おわりに

元のページ  ../index.html#15

このブックを見る