View & Vision No55
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1 グラースらによる事例研究の成果は、個別企業の歴史を集めたものという限界はあったが、この「経過中」のこととして物事を捉えるアプローチは、今日に至る経営史の基本的な方法論的特徴、学問的視座のひとつと言うことができる。例えば森川(1981)は、経済史が個別企業の歴史を対象とする場合、主に企業行動の結果を問題にするのに対して、経営史は企業行動の過程に視点を合わせ、企業の歴史を経営の内部から究明することが目的であると指摘している(11-12)。また、米倉(1994)も、経営史の重要な共通項として、企業や企業システムあるいは技術や組織が、長い時間のなかでいかに進化し変化を遂げていくのかを、一時点だけの静態的な分析からではなく、累積的に関連し合う動態的なプロセスとして分析することを挙げている(23)。その一方で安部(2019)は、こうした経済史は結果、経営史は過程という視点に対して異を唱え、例えば、経済史の分析対象でも主体性やプロセスを重視しなければ分析できないことから、経営史はパーツとして個別企業を分析し、マクロ経済全体の分析につなげていくという捉え方で十分だと主張している(15-17)。2.2 比較研究と経営史の一般化:チャンドラーの貢献チャンドラーは、1918年にアメリカで生まれ、ハーバード大学で歴史学を専攻した後、海軍での経験を経て、1950年からマサチューセッツ工科大学で歴史家としてのキャリアを開始した。その後、1963年のジョンズ・ホプキンス大学教授を経て、1971年にハーバード・ビジネススクールの教授に就任した(McCraw 1988:2)。チャンドラーが自身の経営史において中心的な課題に据えたのは、大規模な現代企業がどのように出現し、それが長期にわたって安定的な地位を維持したのはなぜかということであった。チャンドラーによると、現代企業の特徴は、その内部に階層組織を発達させ、複数の事業拠点を持っていることであった。現代企業が登場する以前には、ビジネスは単一の事業拠点で営まれ、スミス(Adam Smith)の言う市場の「見えざる手(invisible hand)」によって調整されていたが、チャンドラーはこの「市場」と「企業」を対置する存在と捉え、現代企業の内部では市場メカニズムとは異なる原理、つまり経営者の「見える手(visible 家は常に経済的大勢の影響を受けながらも、彼らがとる行動には選択の余地が残されているため、そうした行為の選択やその選択の有効性を検証することが、経営史の中心的な課題であるとグラースは考えたのである。しかし、この視点で一般化を試みようとすると、直ちに方法上の困難に直面することになる。それは、全てのケースがそれぞれ条件も過程も異なっているため、それらを個別の事例として説明することはできても、一連の因果の連鎖からなる「歴史」にまとめるのは困難だということである。こうして、グラースは経営史の方法について根源的な提言を行いながらも、そこから先に進むことはできなかった1(米川 1973:38;鈴木 2015:4-5)。これに対して、アメリカ経済を支える大企業の戦略や組織といった制度的側面に着目し、個別企業の歴史という枠を越えた経営史の総合化・一般化を可能にすることで、後の経営史のみならず、経営学や経済学をはじめとした様々な学問分野にも多大な影響を与えたのは、チャンドラー(Alfred D. Chandler Jr.)であった。hand)」が働いていることを示した。こうした理論によって、経営史を自立した学問として確立させ、その存在を広く認知させることに成功したチャンドラーの貢献は計り知れない。チャンドラーの多くの業績の中で特に著名なものは、Strategy and Structure(1962)、The Visible Hand(1977)、Scale and Scope(1990)の主要3部作と呼ばれるものである。なかでも、その1作目であるStrategy and Structureは、アメリカにおける事業部制組織の成立という組織革新に焦点をあてたものであり、「組織は戦略に従う(structure follows strategy)」というフレーズとともに、自身の名を高める著作となった。チャンドラーは同書において、アメリカの大企業の組織改編に関する予備的調査に基づいて、1910年代から1920年代になされた、集権的職能別組織から事業部制組織への変更が最も根本的な組織改編であったことを明らかにした。さらに、事業部制組織を早期に導入した革新的企業の代表格が、デュポン(DuPont)、ゼネラルモーターズ(General Motors)、ニュージャージー・スタンダード(Standard Oil)、シアーズ・ローバック(Sears Roebuck)の4社であることを突き止め、それらのマネジメントに関する事例研究を行った。ここでは、4社がなぜ事業を拡大し、新しい職能を取り込み、未知の製品へと手を広げたのか、そしてそれに伴い、それまでとは異なるマネジメント形態がなぜ求められるようになったのかということについて詳細に検討している。続いてチャンドラーは、4社の組織革新について比較検討を加えることで、各社それぞれが他の企業からの模倣ではなく、独自の課題に対して真に革新的な解決策を見出して大企業を舵取りするために、全く新しい組織形態として事業部制を取り入れたことを明らかにした。つまりチャンドラーは、個別企業の事例研究によって、組織革新をもたらした内的条件(経営管理の歴史と成長パターン)と、組織変革が行われた際のコンテクスト(市場全体における製品需要の変化と当時のアメリカにおけるマネジメント手法の状況)を調査し、さらに4社の事例を詳細に比較検討することで、「組織は戦略に従う」(企業は販売量の拡大、地理的分散、製品ラインの多様化といった、様々なタ22

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