View & Vision No55
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34に焦点を絞るような仮説検証型アプローチのみを方法論として支持してしまえば、経営史研究発展のダイナミズムが阻害されてしまうと考え、多元主義的なアプローチから得られる利益を強調している(Decker et al. 2015)。先のド・ヨンらのように、経営史を科学と捉えたとしても、ある主張を検証することだけがその目的ではない。歴史研究では、歴史的な出来事それ自体が重要であると考えられ、ある主張を立証することよりも、研究対象である諸現象に関する連続性やその過程を明らかにすること、あるいはそれに対する複雑な展開を統合することを指向する場合が多い。そこでは、ある歴史的な出来事を、理論を裏付けるための事例として記述・分析するのではなく、詳細かつ豊富な再現を通じて、対象となる事象を十分に説明することが意図されている。このように、歴史研究の多くはその本質において、記述的あるいは分析的というよりも解釈的であるため、その方法論も多様になるのである。デッカーらはこうした考えのもと、仮説検証型のアプローチをとるド・ヨンらの新しい経営史が「new business history」であったのに対して、自らのアプローチは「new business histories」と複数形で示されることを強調し、ド・ヨンらの社会科学の主流に基づく方法に加えて、労働史や文化史から広がった資本主義史(history of capitalism)や、経営学・組織論における歴史研究など、多様なアプローチの重要性を指摘している(Decker et al. 2015:30-32)。特に、経営学・組織論で見られる歴史研究の流れは、本稿で中心的に検討している経営学との関わりという観点から見ても、歴史学と経営学をつなぐ、チャンドラー以来の新たな架け橋となることが期待される。経営学・組織論における歴史研究の広がりについては、1960年代以降に経営学研究で支配的になっていた自然科学的なパラダイムに対する不満から生じたもので、進化経済学や制度派の諸理論、経路依存や長期のプロセスなどへの関心を強めた組織論研究者が、社会科学と人文科学との結合、哲学や歴史、文学、ナラティヴ理論との体系的な関わりを主張したことから進展したものである。こうした動きは、経営学・組織論における「歴史的転回」と呼ばれ、経営学や組織論研究の科学的なレトリックに疑問を呈し、過去を単なる変数としてではなく、過程やコンテクストとして捉えるアプローチや、ナラティヴの認識論的位置づけに関する歴史記述への関与を伴っている(Decker et al. 2015:33;黒澤・久野 2018:30)。こうした経営学・組織論における「歴史的転回」について、酒井・井澤(2022)は、その流れを大きく、経営・組織現象の「歴史的背景の研究」と「歴史語りの研究」の2つに分け、近年では後者が有力になっていることを示した。まず、「歴史的背景の研究」は、経営・組織現象がどのように構築され、維持され、変化してきたのかを、過去に遡って解明しようとするものである。これは、歴史的なデータや方法、知識を幅広く活用し、組織化と組織をその社会史的文脈に埋め込み、歴史学と組織研究の双方に配慮した、歴史的情報に基づく理論的なナラティヴを生み出す組織研究である(Maclean et al. 2016:609)。一方、「歴史語りの研究」は、組織の歴史それ自体が行為者によって意図的に語られ、構築されていることを強調するものである。この研究は、過去の利用(uses of the past)と呼ばれることも多く、その際には特に、組織において「語られた歴史」と、競争優位や組織アイデンティティとの間の因果関係が想定されている。この「歴史語りの研究」は、歴史や歴史を語る能力そのものが希少な資源であり、それらが競争優位の源泉になることを示した「レトリカル・ヒストリー(rhetorical history)」や、社外の様々な利害関係者に対して語られ、組織に優位性をもたらすような社会的に構築された記憶資源として歴史を捉え、組織アイデンティティを維持するうえで大きな役割を果たす記憶に焦点をあてた「組織の記憶研究(organizational memory studies)」という2つの研究領域を生み出している(酒井・井澤 2022:6-8)。以上のように、経営学・組織論における「歴史的転回」では、経営・組織現象の歴史的背景を探る研究と、行為主体が意図的に語った過去自体に焦点をあてる研究という2つの主な流れが存在し、そこでは、経営史と経営学・組織論の協働および知的交流が進展しつつある。ここまで見てきたように、経営現象を歴史的に分析24経営学・組織論における「歴史的転回」おわりに

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