View & Vision No55
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千葉商科大学商経学部 教授、千葉商科大学図書館長師尾 晶子MOROO Akikoプロフィール東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。専門は古代ギリシア史。主要著作は、共著『古代地中海世界と文化的記憶』(山川出版社、2022年)、共著: Transmission and Organization of Knowledge in the Ancient Mediterranean World(Wien, 2021)、共著『地中海圏都市の活力と変貌』(慶應義塾大学文学部、2021年)など。1989年の「冷戦」の終結宣言は、民主主義と自由の勝利のように見えた。1990年の東西ドイツの統一、1991年のソ連の崩壊と消滅はそれを象徴する出来事だった。しかしながら、「冷戦」によって押さえ込まれていた宗教・民族の対立が表面化してくると、それが幻想であったことが明らかになった。旧社会主義国圏においては、ユーゴスラヴィア内戦(1991−1995年)、ついでコソヴォ紛争(1996−1999年)が苛烈を極めた。そして2001年に起きたニューヨークの同時多発テロ(9.11)以来、「テロに対する戦争」という名目で内戦と第三国による軍事介入が各地でくりかえされてきた。2015年のシリア内戦を機に、大量の難民がヨーロッパに押し寄せると、国境の開放をうたうEUの理念が揺るがされる事態となり、排外主義がはびこるようになった。政権をとるまでにいたった国はわずかだったものの、各国で「極右政党」の存在感が増し、無視できない存在となった。自由と平等と平和をうたったヨーロッパ型の理念が揺らぎを見せる中、2022年2月24日にはじまったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、世界に衝撃を与えた。どのような言い分があろうともかかる軍事侵攻が許されるものではなく、一刻も早い停戦を願う。一方、エスカレートするばかりのアメリカとNATOによる事実上の軍事介入は、戦争のさらなる長期化とロシアとウクライナ両国における憎悪の増幅につながるのではないかと危惧される。すでにウクライナ国内のインフラはズタズタにされ、犠牲者の数は増え、大量の難民が発生し、多くの建物が破壊されている。軍事衝突の背景には、地政学的な問題と歴史的な問題とが複雑に絡んでいる。絶望的な世界情勢、とりわけウクライナ戦争の現状を見るにつけ、古代ギリシア世界に存在した「悪しきことを思い出さない(mē mnēsikakein)」誓いに思いをいたした。戦争の終結後に相互に交わされた誓約である。最も有名なのは、前403年にアテネで立てられた誓いである。ペロポネソス戦争(前431−404年)末期のアテネでは、前411年に「四百人政権」が、敗戦後の前404年には「三十人政権」が樹立され、民主政が一時的に停止された。市民は分断され、恐怖政治がおこなわれた。前403年秋、「三十人政権」が打倒され、民主政が復活すると、怨恨による復讐の連鎖が起こらないよう、首謀者を除き全市民が内乱時の対立を「思い出さない」ことを誓ったのであった(伝アリストテレス『アテナイ人の国制』39.6)。「悪しきことを思い出さない」誓いは、アテネ特有のものではなく、「慢性的戦争状態」と評されたギリシア世界にひろく存在していた。前422/1年には、ボッティアイアに住む人々の間で相互に「悪しきことを思い出さない」誓いが交わされ(『ギリシア碑文集成』第1巻第3版76番)、おそらくペロポネソス戦争の終戦少し前には、タソスとネアポリス間で相互に誓いが立てられた(『ギリシア碑文集成』第12巻第5分冊109番)。ネアポリスはタソスの植民市で、両国ともにアテネの同盟国であったが、前412年以降、後者が離反してスパルタ側に立ったことから敵対していた。タソスの母市であるパロスが仲介役となって両国の和平が成立し、条文を刻んだ石碑は、両国の他、パロスと植民の神託を下すアポロンの聖域デルフィに建立された。破壊の限りを尽くす憎悪の連鎖を止めるための古代ギリシアの知恵、それが「悪しきことを思い出さない」誓いであった。互酬的であったことにこそ、この誓いの意味がある。いわゆる「大赦」とはこの点で大きく異なる。自分たちの意志で相互を赦し、新しい秩序のもとで内心気に入らなくとも共存することを選択する、そんな意味をもっていたのである。はたして現代人は憎悪の連鎖を断ち切ることができるのだろうか。1「悪しきことを思い出さない」誓い

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