View & Vision No55
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4 ジョン・ルイス・ギャディス「限定的一般化を擁護して―冷戦史の書き直しと国際政治理論の再考―」コリン・エルマン/ミリアム・フェンディアス・エルマン編(渡辺昭夫監訳/宮下明総・野口和彦・戸谷美苗・田中康友訳)『国際関係研究へのアプローチ―歴史学と政治学の対話―』(東京大学出版会、2003年)、199頁。5 ジョン・J・ミアシャイマー(奥山真司訳)『新装完全版 大国政治の悲劇』(五月書房新社、2021年)、41頁。2003年)を参照。主張している。だが、歴史学者の理論不信へのもっとも説得力のある理由は、我々が理論の中にキャッチ=22(同名の米国の演劇・小説に登場する、あちらを立てればこちらが立たずという状態に陥らせる不条理な軍規)が潜んでいるのを感じとることにある。理論家は、単純な出来事について普遍的に適用可能な一般理論を構築しようとする。しかし、もしこうした出来事が複雑になると、一般理論は普遍的に適用できなくなる。したがって、我々から見ると、理論が正しい場合にはその理論はがいして当たり前のことを証明しているにすぎない。当たり前のこと以上のことを言おうとすると、理論はたいてい間違っている。歴史学者は、全く違った方法を採る。すなわち、複雑な出来事を再構成するために、叙述(narratives)を作り上げるのである。そうすることで、我々は一般化を進めるとともに、一般化を覆す。人生は複雑なのだから、歴史も複雑なのである4。政治とは人間が動かすものである。そして、すべての人間のすべての行動原理を解明することは極めて困難である。したがって、ある政治的な出来事が起こる要因を、時代や地域を越えて当てはまるような理論で説明することは同様に極めて困難なのである。他方で、理論研究に意味がないわけではない。例えば、国際政治学における重要な理論の1つとして、攻撃的リアリズム(offensive realism)というものがある。これは、国家は自国の安全保障を確保するためにパワーの最大化を試みるという理論である。なぜなら、パワーというものは相対的なものであり、どれだけのパワー、より細かく言えば軍事力があれば自国の安全保障を確保できるかわからない以上、国家にとっては自国のパワーを最大化することが合理的であるからである。この攻撃的リアリズムは時代や地域を越えた普遍的なものであるが、他方で現実の国際政治の出来事をすべて説明できるわけではない。このような点に対して攻撃的リアリズムの提唱者である国際政治学者のジョン・J・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)は、攻撃的リアリズムは暗い部屋の中を照らす強力な懐中電灯のようなものであると主張している。部屋の隅々までを照らすことはできないが、それでも我々が暗闇の中を進むうえで大いに役立つからである5。つまり、攻撃的リアリズムのような大きな理論が巨大な懐中電灯であるとすれば、歴史的な叙述はそれだけでは照らしきれない部分を照らす小さな照明のようなものであるといえる。大きな明かりと小さな明かりにそれぞれ優劣はなく、この双方を活用することで国際政治という暗い部屋を可能な限り照らすことができるということである。この点において、日本の国際政治学の特殊性が活きるといえる。すなわち、日本では理論研究や統計研究に加えて歴史研究も国際政治学として一括りにされるため、互いの欠点を効果的に補うことが可能であるということである。例えば、ロシアのウクライナ侵攻を例にとってみれば、攻撃的リアリズムでロシアの行動の多くを説明することができる。ウクライナを占領することは同地域を北大西洋条約機構(North Treaty Atlantic Organisation: NATO)に対する防波堤にすることを可能にするからである。しかし、他方で攻撃的リアリズムのような大きな理論だけでは、なぜ2022年2月24日にあのような形で侵攻が始まったかということまでは説明できない。こういった時に、個人の役割を重視する歴史研究が重宝する。ウェルチが主張するように、もしエリツィンやゴルバチョフが現在のロシアの指導者を務めていた場合、2022年2月24日にあのような形でウクライナを侵攻していた可能性は低いからである。そこで、プーチンという個人の性質や考えに着目することが重要になる。このようにして、理論研究や統計研究と歴史研究にはそれぞれ長所と短所がある。したがって、どちらがより優れていてどちらかが劣っているということはなく、分析する事例に応じて分析手法を柔軟に組み合わせていくことが重要であるといえる。また、日本の国際政治学の特殊性はこのような点において有用であると指摘することができる。最後に、歴史学そのものの有用性について言及したい。客観的な歴史など存在するのか、そして、も283歴史学の終わり?

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