View & Vision No55
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参考文献デイヴィッド・A・ウェルチ「『個人の性格』を過小評価してきた国際政治学──ウクライナ戦争が提起する5つの論点(中)」『Webアステイオン』(https://www.newsweekjapan.jp/asteion/2022/12/5-1.php)(閲覧日:2023年1月23日)。リチャード・J・エヴァンズ(今関恒夫・林以知郎監訳/佐々木龍馬・與田純訳)『歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話―』(晃洋書房、1999年)。コリン・エルマン/ミリアム・フェンディアス・エルマン編(渡辺昭夫監訳/宮下明総・野口和彦・戸谷美苗・田中康友訳)『国際関係研究へのアプローチ―歴史学と政治学の対話―』(東京大学出版会、2003年)。E. H. カー(原彬久訳)『危機の二十年―理想と現実―』〔電子書籍版〕(岩波書店、2015年)。ジョン・J・ミアシャイマー(奥山真司訳)『新装完全版 大国政治の悲劇』(五月書房新社、2021年)。の方法論に対する内省を促し、それが歴史学の発展につながったと言うことができる。ここまで論じてきたように、歴史研究はかなりの程度主観的なものであり、とりわけ外交史は個人の内面に着目することが多いため、特定の人物の行動や発言に対する解釈が異なることは多い。しかし、ロシアによるウクライナの侵攻のような問題の起源を分析するうえで、プーチンのような個人に着目することは不可欠である。そのため、エヴァンズが主張するような自己批判に徹した歴史研究と理論研究や統計研究を組み合わせることで、複雑で難解な国際政治を多角的に分析することが必要である。日本の国際政治学はアメリカやイギリスのものとは大きく異なる。その最大の違いは、アメリカやイギリスでは歴史学の一部として扱われている外交史研究が日本では国際政治学の一部に含まれていることである。このような日本の国際政治学の特殊性は、ロシアによるウクライナ侵攻のような事件の起源を明らかにするうえで有用である。なぜなら、ウェルチが主張するように、現代の国際政治学者の多くは個人の役割を軽視しすぎたからである。理論研究や統計研究は個人の役割を重要視しないが、ロシアによるウクライナ侵攻においてプーチンが決定的な役割を果たしたということは否定できない。このような場合に、個人の役割に着目することが多い外交史の手法が役に立つのである。他方で、外交史をはじめとする歴史研究の手法にも欠点がないわけではない。その最大の欠点は、理論研究や統計研究に比べて客観性に劣ることである。歴史研究における客観性の問題は、ポストモダニストによって批判された。彼らは、歴史研究はフィクションに過ぎないと批判したのである。しかし、エヴァンズが主張するように、確かに完全に客観的な歴史は存在しないが、歴史家の不断の努力によってより客観的な歴史を書くことは可能である。したがって、歴史家は決して驕らず日々研鑽に努めて歴史の分析の腕を磨くべきである。本稿で論じてきたように、日本の国際政治学の特殊性は歴史研究・理論研究・統計研究のそれぞれの短所を補うことができるという点において有用である。日本の国際政治学者はそのような特殊な観点を用いて、アメリカやイギリスの学者とは異なる見方で国際政治を分析することによって、国際政治の研究に貢献すべきである。304おわりに

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