View & Vision No55
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一の手段であるという観念は、広く浸透しているだろう。現代も、人びとの生活時間の多くが職業労働に費やされていることを踏まえれば、問題は生の労働への一元化として捉え直せるだろう。しかしヴェーバーは、世界宗教へと視野を広げた比較の視座から、職業労働に一元化されない生が営まれる世界の歴史的社会的構成を問題にしたと考えることもできる。本研究では、そうした比較史的視座を手がかりに、労働観の一元化過程とその一元化から免れる労働観のありかを探り、現代日本社会において生の多様性を取り戻す基礎的考察としたい。古代ギリシア世界において、商工業従事者・職人・技術者らが自分たちの職業をどのように語り、行動していたかに焦点を当て、主に知識人による商工業従事者・職人への蔑視、および外国人蔑視の言説との差異と矛盾を明らかにすることから、古代ギリシア世界における労働観をめぐる諸相について考察する。とくに以下の2点に焦点を当てる。1)商工業従事者・職人・技術者による奉納銘と墓碑銘の分析。アルカイック期のアテナイにおけるいわゆる職人の読み書き能力については、これまでにも論考を発表してきたが、本プロジェクトでは、奉納銘、墓碑銘を読み解くことから彼らの職業観と労働観を探る。古典期を中心にアルカイック期からヘレニズム時代初期までを考察の対象とする。当該市民による奉納銘、墓碑銘と外国人居住者による奉納銘・墓碑銘との差異にも注目することで、理想の市民像を語る言説との矛盾の背景への考察も射程に入れる。2)職業集団の組合(コイノン)とポリスの関係の分析。古代ギリシアのポリスにおける市民権の閉鎖性については、つとに知られている。一方、その政治制度から伺える以上に人々はポリスを超えた移動をおこなっていた。前4世紀末頃より、さまざまな職能集団の組合の存在が知られるようになる。ポリスの枠を超えた組合の活動の実態を探ることから、職業観、労働観の変化をたどってみたい。労働観の変遷について、これまで代表的な議論として、物質主義から脱物質主義へ、自己犠牲から自己実現へ、「なりわいをたてること」から「自分さがし」へ、「仕事中心」から「仕事と余暇の両立」などが挙げられる。異なる時代、異なる経済水準によって、労働の意味付けや動機付けは当然変化する。日本の若い世代において、「集団本位」ではなく「個人本位」で働く傾向があり、それは「個人化」という社会変動による結果であると指摘されている。この労働の個人化には二重の過程が含まれている。一つは個人が集団による拘束から解放され、自立と自由を手に入れることである。コロナ禍やデジタル化によって、テレワークや副業の推進、プラットフォーム就労の増加といった働き方の多様化はその現れである。もう一つは個人が集団による保護を喪失することである。社会保険を中核とする従来の社会保障は安定的な正規雇用を前提としている。いまその前提が揺らいでいるということは明白である。多様な働き方に対応するため、社会保障は再編しなければならない。デジタル経済の進展が早い中国では、すでに社会保険の機能強化に乗り出している。日本でも2018年から「働き方の多様化を踏まえた社会保険の対応に関する懇談会」が開催され、2019年にとりまとめが出されている。日本における議論を整理し、社会保険改革の現状と課題を明らかにしたうえで、日本の特徴あるいは今後の方向性について考察したい。ワークライフ・バランス(WLB)からワークライフ・インテグレーション(WLI)への視座について、労働観と経営技法の変遷から考察する。 資本主義ないし市場経済における企業経営は、営利原則に則って発展してきた。営利原則こそが企業経営の原理的特質である。ところが、近代以降の社会や文化の発展水準を示す尺度は、民主主義とヒューマニズム=人間性の普及の度合いである。それは、企業経営の原理とは別個のものである。しかも、営利性原則は、民主主義やヒューマニズムとしばしば対立してきた。 しかし、民主主義の発展した社会では、人に対する考え、人々の労働観は企業経営の決定的・原理的要素となる。たとえば、民主主義の発展の違いは、企業の社会的責任に対する考え方、労働組合に対する考え方の違いを生み出すのである。労働時間、雇用における男女差別などに対する考え方においてもしかりである。本研究では、人々の労働観と企業の経営技法の歴史45(2)古代ギリシアにおける労働観(3)中国における労働観と労働教育の変遷(4)労働観の変遷と経営技法―WLBからWLIへの視座―

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