View & Vision No55
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を辿ることで、WLBからWLIへの変遷、言わば現代的な「仕事と生活」、「労働」の変遷を明らかにするものである。WLB問題に関して、賃労働と家事労働の分離をもとに考察する。その分離と賃労働の優位を前提にWLIの分析は、生活の論理を基軸に進める。実態としても歴史的にも家事労働の担い手が女性であることから、女性の就労との関連からWLIを位置付け、さらに「働き方改革」との関連から、WLIを経営技法の変化との関連から考察する。現在、伝統文化と呼ばれるものは、過去の流行の最先端であり需要も旺盛だった。将来の日本における文化の継承とは伝統文化を守るとともに、伝統文化の要素や記号を残しつつ私たちの暮らしに馴染む製品・サービスを創造することだと考える。情緒的な表現をするならば、初めて訪れた風景をみて郷愁や安らぎを抱くという感情に訴えるなにかを埋め込むかたちである。地域文化の振興を志す若者、および、後継ぎとなる中年層の後継者が増加している。こうした取組みを後押しするためには、所得と余暇を伴う将来の人生に対する前向きな期待を労働観と併存するかたちで抱けることが求められよう。日本の現代産業史とムラ文化を鑑みれば整合性を取った解釈は可能だが、今回の興味の対象は大正時代から昭和時代にかけての労働観と地域文化の表象を整理することのみではない。今回の興味の対象は2点ある。1点目は時代背景を先行資料に基づき軽微に意識しつつも、大正時代に既存の地場産業を大きく発展させた事象の発生にともない、将来の人生に対する期待と展望がどのように変化したのかを捉え直すことである。2点目は1点目を踏まえ、近い将来に馴染むかたちで本テーマにおける日本文化の継承のひとつの方向性を考察することである。なお、考察にあたり、労働観と地域文化の表象の比較という視座を意識したかたちで取組むものとする。中小企業金融公庫調査部(2003)『情報化の進展が地域産業集積に与える影響』によると、地場産業型集積の特質のひとつに、原材料の産出を基盤にしていることが挙げられる。石見銀山と奥出雲は良質な銀鉱石を採取してきたと同時に玉鋼の精錬技術も保有していたために、その特質を満たしている。その歴史は古く、鉄の道文化圏協議会(2017)『鉄づくり千年物語』によると、8世紀初頭から相対的に安価な海外の鉄の普及によって衰退する明治時代まで隆盛を誇った産業だった。石見銀山や奥出雲は地場産業型集積の代表的な地域のひとつである燕や三条と異なり、加工技能を基盤に時代に応じて最終製品を変容させてきたわけではない。燕や三条だと加工技能を基盤にして和釘、銅器、煙管、洋食器と衰退と変容をし続けてきたが、石見銀山と奥出雲では銀や鉄、そして、玉鋼という素材の精錬技能に特化してきた。たたら製鉄の役割は明治時代に流入してきた角型溶鉱炉に取って代わられ、太平洋戦争の一時期を除けば産業としての灯は終焉し、観光資源に姿を変えている。日本刀鍛錬会による模索はあったものの、観光産業として地域と自然を暮らしとともに保全してきたからこそ、石見と奥出雲の調査は労働観という当プロジェクトの出発点としてふさわしい対象といえよう。世界遺産に登録された決め手の一つとして、製鉄の一大産地にも関わらず自然と共生してきた循環型社会だったことが挙げられる。火、水、木、鉄、土がいずれも必要であり、観光産業に舵を切ったからこそ、多様な情報と遺物が残っている。換言するならば、石見銀山はたたら製鉄を中心に営まれてきた労働と経済の歴史を容易に垣間見ることのできる地域である。他方で奥出雲は生活の営みを残している地域である。端的に述べるならば、2007年に制定された「石見銀山大森町住民憲章」に記されているとおりである。産地としての役割を終えた石見銀山や奥出雲は観光産業に変容したが、人の営みの拠り所として受け継がれるべき領域を無形文化として明確に残しつつ今に受け継がれている。2022年度に初めてプロジェクト参加メンバー全員で実施した調査は、それぞれの課題の出発点として貴重な機会だった。専門領域の異なる課題ゆえに、直接的に今回の調査は反映されないにしても、比較や根源を検討する際に、そして、議論を重ねる際の拠り所になる探索だった。このような貴重な機会を与えて頂いた経済研究所、ならびに、代表研究者の荒川教授と調査に資する移動計画を立てて頂いた師尾教授にこの場を借りて心より厚く御礼申し上げたい。46(5)地場産業と労働観2.石見銀山と奥出雲の調査について3.むすびにかえて

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