View & Vision No55
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千葉商科大学政策情報学部教授 経済研究所長小林 航KOBAYASHI Wataruで、その代表的な研究成果である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(『プロ倫』)における「時間分割」の問題に焦点を当てている。『プロ倫』では、近代資本主義の精神を形成する宗教史的要因が問題にされ、修道士の禁欲的生活態度が平信徒の世俗内禁欲へと展開したという議論がなされるが、そこでヴェーバーは、人間を規律化する要素の1つに時間分割があったと指摘している。教会や修道院ではその初期から、神に祈り働くために、1日の時間が分割され、鐘によってその区切りが告げられていた。教会の支配するこの聖なる時間の秩序は、やがて教会の外にも広がり、市民もその鐘が告知する時間に合わせて仕事をするようになる。この論文では、こうしたヴェーバーの歴史社会学的考察の独自性とその意義についても考察している。 2本目は、会計学における歴史分析を取り上げている。特に、現代の会計学においても論争の的となる「複式簿記はいつ誰がどのように生み出したのか」という問いに焦点を当て、古代ローマ時代から13世紀までのイタリアにおける歴史的展開を辿っている。複式簿記が企業に適用された最も古い例は13世紀末のGiovanni Farolfi商会の帳簿であることが確認されているが、複式簿記の起源を明確に示す文献や証拠は未だに発見されていないという。その一方で、複式簿記と思われる最古の事例は1211年にフィレンツェの銀行が作成した羊皮紙片にみられる。その羊皮紙の記録は、比較的少額の融資と返済に関するものであるが、本格的な銀行業を反映し、「銀行の顧客とその債務者の間で負債の相殺を行うという比較的複雑な債務決裁の方法」が示されているという。また、この羊皮紙で使用されている動詞の使い方に着目して複式簿記の起源に迫ろうとする議論も紹介している。 3本目は、中国の社会保障制度の歴史を扱っている。中国では2011年に「皆保険・皆年金」を中核とする社会保障制度体系が成立しているが、現在、財源問題と制度間格差という2つの大きな問題を抱えている。そこで、そうした問題点の起源を探るべく、その形成過程に焦点を当てている。中国の社会保障制度史において重要なポイントとなるのが、計画経済から市場経済への移行である。計画経済期の中国では、国有企業を中心とした「労働保険」制度が運営されていたが、個人の拠出はなかった。市場経済の導入後、国家負担を軽減させるべく政府・企業・個人の「三者負担」が導入されることとなるが、その際、国民に個人拠出を受け入れさせるために考案されたのが「個人口座」であった。しかし、計画経済期の労働者のための年金積立が不足していたため、新制度下の「個人口座」の積立金が流用され、「空口座」問題が発生する。また、都市と農村、被用者と非被用者の扱いをめぐる問題にも焦点を当てるとともに、中国の発展過程を韓国や定型化されたプロセスと比較している。 4本目は、経営学において歴史的な分析を行う経営史に焦点を当て、その方法の変遷と意義について検討している。経営史は20世紀初頭にアメリカで誕生したとされ、1927年に、ハーバード・ビジネススクールに経営史の講座が設置されている。初期の経営史は個々の企業の歴史の解明からはじまり、それらを編集して特定の産業の歴史を描く一般経営史が構想されたが、全てのケースがそれぞれ条件も過程も異なるため一連の因果の連鎖からなる歴史としてまとめるのは困難であったという。その後、チャンドラーが事業部制組織を早期に導入した4社の事例を詳細に比較検討することにより、「組織は戦略に従う」というテーゼを導出し、比較研究や理論構築型の経営研究の模範とされるようになる。さらに、近年では経営学の科学化とも呼ばれる潮流のなかで仮説検証型のアプローチが提示される一方で、対象となる事象を十分に説明することを意図した解釈学的・定性的なアプローチも展開されるなど、その方法は多様になっている。 5本目は、国際政治学と外交史の関係性について考察している。日本では外交史研究が国際政治学の一部として捉えられているのに対して、アメリカやイギリスでは外交史は歴史学の一部として捉えられているという。さらに、アメリカの国際政治学では理論研究や統計研究が主流であるのに対して、日本では歴史研究も国際政治学の一部とみなされている。理論研究は国際政治における出来事の普遍的な一般化を試みるのに対して、歴史研究は一般化を行わない、もしくは限定的な一般化しか行わない。そのため、個人の性格が後者では重視されるのに対して、前者では過小評価されることになりがちであるが、政治は人間が動かすものであり、ロシアのウクライナ侵攻によってそうした質的研究の重要性が見直されているという。その一方で、歴史研究はフィクションに過ぎないとの批判もあるように、客観的な歴史を書くことは容易ではないが、歴史家の不断の努力によってより客観的な歴史を書くことは可能であり、日々研鑽に努める必要があるとしている。3

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