View & Vision No55
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4610 古田暁訳『聖ベネディクトの戒律』ドン・ボスコ社(2006)118頁。11 ジョルジョ・アガンベン(上村忠男・太田綾子訳)『いと高き貧しさ――修道院規則と生の形式』みすず書房(2014)28頁。視点は変わるが、ドイツ歴史学派のカール・ビュッヒャーはその著『労働とリズム』の末尾で次のように述べている。「労働はもはや音楽や詩を同時に楽しむようなものではない。市場向けの生産は、もはや自分自身のための生産のように個人的な名誉や名声をもたらすことはない。」Karl Bücher, 1896, Arbeit und Rhythmus, Leibzig: S.Hirzel, S.117.12 アガンベン、前掲『いと高き貧しさ』28頁。あることを日常生活のなかで自ら立証していかねばならない。つまり、自らの日々の生き方=生活態度(Lebensführung)が問われるのである。しかも求められたのは、それまでの生き方とは異なる、営利そのものを至上目的として、それを義務とまで考えて遂行する前代未聞の特異な生き方である。そのような生活態度へと人間を規律化する要素の一つに「時間分割」があったとヴェーバーは指摘した。たとえば中世では利子が禁じられていたが、それは時間が被造物である人間のものではなく、労働せずにただ時間の差によって利益を造り出すことが神への冒瀆とされたからである。被造物が時間を自己のものと考えること自体が悪徳なのである。それは「時間を得した」とか「時間を損した」などと表現する現代的感覚からはほど遠いものといえる。そのような損得の感覚は「時間は貨幣である」という思考と通底しているが、そこには時間を「創造」以来連綿と続くものとする観念からの離脱がある。連続した一体的時間が分割され細切れにされることで、時間が個人のものとなる余地が生じるからである。この非連続な分割された時間は、神によって据えられていた存在の根拠を掘り崩すだろう。カルヴァン派の二重予定説によって自己の救済を絶えず確証し続けるよう促されたとき、存在はもはや持続においてではなく、一瞬一瞬に与えられる神の恩恵によって可能なものとなる。救いに関して自らは何もなし得ない被造物は、恩恵なしには神を信じることができない。だからこそ、カルヴァン自身は自らが神を堅く信じることができていることを根拠に、自らの救いを信じることができた。予定説は、選びの教理であり、いわゆる「信じる者は救われる」ではなく、救われている者は信じることができる、のである。けれども一般の平信徒は、堅忍な信仰のみでは救済の不安に耐えられなかったのではないかとヴェーバーは見る。「無為」や「怠惰」が悪徳とされるのは、神のために奉仕する「時間」を浪費し無駄にするからである。神のために規則正しく働いた結果、その成果が得られれば、それは恩恵が授けられていることの証し(救いの認識根拠)となるという思想は、救済の不安を抱く信徒たち、具体的には商人や職人たちに強力に作用したであろう。しかしそもそも、規則正しく働くとはどういうことだろう。この問いには、規則の成立と規則に従うエートスの問題が関わっている。教会や修道院ではその初期から、神に祈り働くために、一日の時間が分割され、鐘によってその区切りが告げられていた。つまり、一日をさらに時間によって分割し、時間に即して務めを果たすよう求められたのである。祈りの時間に遅れた者には、規則でむち打ちなどの罰則が課せられた――後の資本主義社会において労働者が仕事の時間に遅れれば、罰金が課せられるであろう。教会や修道院では、時間に即して生のすべてが聖化され、聖なる時間と生との一体化が目指されたのである。たとえば修道制の初期、6世紀の『聖ベネディクトの戒律』(第47章)は次のように定めている。  夜にしろ昼にしろ、「神の業」の時刻を知らせることは修道院長の務めです。修道院長は自ら知らせるか、あるいは熱心な修友にこの務めを担わせ、すべてが適切な時刻におこなわれるようにします10。続く48章では、季節ごとに、労働は何時、食事は何時から何時までと詳細に一日を分割し規則を定めている。季節ごとに時間割りが異なるのは、当時の時間は夜明けから日没までを12区分して計られたからである。1時間の長さが季節で異なるのである。当時の修道院では主として日時計が用いられ、雨天など日時計の使えない場合に備えて水時計が用意されることもあったようだが、ジョルジョ・アガンベンはさらに、曇天に際しては修道士が「自ら生きた時計になる」よう勧められていたことを紹介している。すなわち、詩篇の祈りを歌う長さによって時間を計るのである11。アガンベンは修道院長の下で時刻を知らせる務めを担った者がcompulsores(駆り立てる者たち)やexcitantes(刺激する者たち)などと呼ばれたことを記しているが12、時間の告知によって「駆り立てられる」という感覚は、すでに修道院で感得されていたものだった。教会の支配するこの聖なる時間の秩序は、教会の外にも広がっていく。中世以来、平信徒もその鐘にあわせて仕事を始め、また仕事を終えて、明かりを消して教会の鐘と時間の分割

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