学長コラム

本学の取り組みや教育活動、学生たちの活躍などの最新情報を中心に、時折、原科学長の研究テーマである参加と合意形成、環境アセスメントに関連した話題もお届けします。

新国立競技場

9月5日、東京パラリンピックが終わりました。東京オリンピックは8月8日に終了。これで、この夏の大きな国際スポーツイベントが終わりましたが、コロナ禍のもとでの開催には大きな疑問も持たれました。特に、政府は緊急事態宣言を行いつつオリンピックを開催したので人々の気が緩み、新型コロナウイルス感染者の増大につながったという見方は多数です。この先、感染の拡大がどうなるか心配です。

とはいえ、オリンピック、パラリンピックに参加した選手達は、私達に沢山の感動を与えてくれました。酷暑の日本で夏の開催は、アスリート・ファーストとは言えない大会でしたが、本当によく頑張りました。

オリンピックの標語

オリンピックの標語として「より速く、より高く、より強く」は、よく知られています。これは競い合うという姿勢ですが、一方で、「オリンピックは参加することに意義がある」とも言われます。この二つは矛盾するようにも思われます。だから、ただ競い合えば良いのではないとの議論も行われてきました。その結果でしょうか、7月20日、東京で開かれたIOC(国際オリンピック協会)の会合で、この3つに、「共に」が加えられました。

「より速く、より高く、より強く—共に—」

この標語はどうですか。パラリンピックを見ると、「共に」との表現は相応しいように思われます。障がい者の人達を皆が支えて「共に」競うのです。しかし、スポーツとは競い合うよりも、楽しむものではないでしょうか。ゲームで勝ち負けは付けても、その結果をメダル獲得数などでことさら強調するのは、いかがなものか。

健全なる精神は健全なる身体に宿る?

スポーツ、あるいは、健康な体づくりに関連して「健全なる精神は健全なる身体に宿る」といわれます。これは通常、身体が健全になれば、精神も健全になると理解されていますが、考えてみるとおかしな言い方です。パラリンピックの選手は身体に障がいがありますが、精神は極めて健全です。

この言葉、もともとは古代ローマの風刺作家で弁護士でもあったユウェナリスという人が『風刺詩集』第10編に書いたものと伝えられます。ラテン語で書かれたものが英語に訳され、身体が健全ならば精神も自ずと健全になるという意味の慣用句として定着してきました。しかし、これは、ユウェナリスの言っていることとは全く違うようです。

そもそも、『風刺詩集』第10編は、幸福を得ようと人々 が神に祈る事柄を一つ一つ挙げ、いずれも結局は良いことはないので、そんな願い事はするなと戒めているものです。すなわち、富、地位、才能、栄光、長寿などを求めても、行き着く先は身の破滅だとしている。欲張るなと言うわけです。そして、ユウェナリスは、もし願うなら「健やかな身体に、健やかな魂を」としています。これは暗に、体が健康でも精神が健康でないことがあるとしているわけで、上記の解釈とは全く逆です。

でも、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言うと、身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのようになります。これは戦前、軍国主義の時代にナチス・ドイツをはじめ各国で広まったものです。戦後もこの言い方が続き、私も子供の頃はそのように聞きました。しかし、力の強い子は優しい子もいますが、そうでない乱暴で意地悪な子もいます。最近の、いじめ問題でも、体の丈夫な子が弱い子をいじめたりもしていますから、体が健全でも精神が健全でないこともあります。

日本のモラルの源泉としての武士道では、義、勇、仁が特に重要だと、私はいつも言っています。義を行う勇気があれば強い人ですが、それだけでは駄目。加えて仁の心、思いやりの心を持つことです。健全なる身体を作るのは大事ですが、「健全なる精神を」持つことはもっと大切なことです。