教員コラム

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国際

2014年9月に注目された海外ニュースの1つは、スコットランドで行われた同地の独立の是非を問う住民投票でしょう。スコットランドから遠く離れた我が国でも、NHKでは報道特別番組が編成され、独立が否決された投票結果はいち早く速報されました。これほどまでに注目されたニュースの中で、私も含めて多くの人が感じたのは、「いったい国って何だろう?」という素朴な疑問かもしれません。今回は、スコットランドが独立をめぐる住民投票に至った経緯や背景、住民投票がもたらした結果、そして、我が国も含めたグローバルな経済社会に与えた示唆を考えてみたいと思います。

「イギリス」と「スコットランド」

私たちが「イギリス」や「英国」の呼称で親しんでいる国の正式名称は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」と言うそうです。「イギリス」は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの地域(この構成単位のことをイギリスではカントリー(country)と呼んでいます)で構成されています。今話題になっている「スコットランド」は、「イギリス」の中にある1つの地域ということになります。

イギリスでは、歴史的な経緯から、これらの各地域が強いアイデンティティーを持っており、例えばそれはスポーツの世界であらわれています。サッカーでは、我が国のサッカー日本代表チームのように、国や地域単位でナショナルチームが構成されていますが、イギリスでは、イギリス代表ではなく、イングランド代表、ウェールズ代表、スコットランド代表、北アイルランド代表という4つのナショナルチームがあります。この中では、イングランド代表が強豪として知られていますが、スコットランド代表も決して弱くはありません。過去8回もヨーロッパ予選を突破してFIFAワールドカップ本大会に出場した経験があります。また、ラグビーにおいても、サッカー同様に、4つの地域それぞれがナショナルチームを形成しており(ラグビーの場合、北アイランドは隣国アイルランドとの統合チームです)、どの代表チームもラグビー界の強豪です。

では、このようにイギリスで各地域のアイデンティティーが強いのは何故でしょうか。さきほど「歴史的な経緯から」と書きましたが、そのことに少しふれてみましょう。イギリスは、イングランドが他の地域を統合・合併することで現在の国の形がつくられてきました。まず1536年にイングランドがウェールズを統合、1707年にはスコットランドと合併、さらに、1801年にアイルランドとの合併が成立、グレートブリテン及びアイルランド連合王国が誕生しました。その後、アイルランドでは独立運動が高まり、1922年にその一部がアイルランド自由国(現在のアイルランド共和国)として独立したため、イギリスに残った部分が北アイルランドとなりました。

スコットランドが独立を求めた理由

イギリスは2つの大きな島から成り立っている島国です。大きい方が、東に位置するグレートブリテン島で、この中にイングランド、ウェールズ、スコットランドが含まれます。もう一つがアイルランド島で、その北東部の一部分が北アイルランドとしてイギリスに属します(残りはアイルランド共和国)。

首都ロンドンは、グレートブリテン島の南部、いわゆるイングランド地域にあります。その西側、同島南西部に位置するのがウェールズです。そして、同島北部に位置するのがスコットランドです。スコットランドは現在、イギリスのGDPの約1割弱、国土の約3割を占めるそうです。

そのスコットランドが、なぜ今日、イギリスからの独立を求めるようになったのでしょうか。1つの大きな理由は、スコットランド人のアイデンティティーです。歴史を紐解けば、もともとは違う国だったわけですが、イングランド・ウェールズと約300年前に合併した経緯があります。しかし、それだけが理由ではありません。合併から300年以上を経た今、なぜ独立を求めるかといえば、それには今日的な理由があるからです。

19世紀にかけての産業革命で工業化を果たしたイギリスでは、鉄鋼、造船といった重厚長大産業が興隆しましたが、特にスコットランドではそうした産業が経済の基盤を成しました。しかし、1979年に就任した保守党のマーガレット・サッチャー首相は、規制緩和や国営企業の民営化を断行、重厚長大産業に依存したスコットランド経済は苦境に陥りました。その一方で、1960年代から採掘がおこなわれるようになった北海油田は、その多くがスコットランドにありますが、そこから得られる課税収入は、スコットランドのものではなく、イギリス全体の経済政策のために中央政府が活用していました。こうした時代背景が、スコットランド独立に向けた運動を加速化させました。

1997年に政権交代が実現し、労働党のブレア政権が誕生すると、スコットランド出身のブレア首相の下で、スコットランドでは独自議会の設立を問う住民投票が行われました。賛成多数の結果、1999年には約300年ぶりにスコットランド議会が復活、教育や医療の面でさまざまな権限が中央政府からスコットランド政府に移譲されました。

しかし、中央政府においては、ブレア首相にしろ、それに続くブラウン首相にしろ、中道寄りの「第三の道」と呼ばれる政策を推進しました。また、2010年に保守党へと政権が移り、キャメロン首相が誕生すると、イギリスでは再び保守色の強い政策が議論されるようになりました。

こうした中央での政治の動きに反旗を示すかのように、スコットランド議会では、独立を掲げるスコットランド民族党(SNP)が躍進、2011年には同議会にて単独過半数を獲得しました。そして2012年、イギリスのキャメロン首相とSNPのサモンド党首は、スコットランド独立の是非を問う住民投票を行うことに同意しました。この時点で、独立賛成の世論は過半数に及ばず、キャメロン首相が住民投票に合意した背景には、住民投票において独立反対の結果を出させることにより、独立の是非を問う長年の議論にケリをつけたいという思惑があったようです。

独立賛成?独立反対?

スコットランドの独立賛成派たちが目指していたのは、高福祉国家でした。北海油田からの課税収入を頼りに、手厚い社会保障などを実現しようというのです。また、混乱が生じないように、イギリスで用いられているポンドの使用を継続し、EU(欧州連合)に加盟しようとしていました。

これに対して、独立反対のイギリス政府は、仮にスコットランドが独立した場合、このポンドの使用は認めないと牽制しました。そこで、独立賛成派はEUとの連携に期待を寄せました。というのも、イギリスではギリシャ発の欧州金融危機以降、反EUの機運が高まっており、現キャメロン政権は2017年にEU離脱を問う国民投票を予定しています。それに相対する立場をスコットランドの独立賛成派はとろうしたのです。

しかし、この政策は裏目に出ました。EUを主導する人々は、イギリスがEUから離脱することを恐れています。彼らは、イギリスがEUから離脱しないためにも、親EUの立場をとるスコットランドの人々にはイギリスに留まってほしいと考えました。また、スペインのカタルーニャ地方、ベルギーのフランドル地方など、EU域内にはスコットランドのような独立運動を展開している地域があり、これらの運動を刺激したくないというEU加盟国の思惑も重なりました。スコットランドの人々の思いとは裏腹に、その周囲では何とか独立を思いとどまらせようとする動きが強まりました。

スコットランド独立否決

2014年9月18日、スコットランド独立の是非を問う住民投票が行われました。結果は賛成44.7%、反対55.3%となり、反対多数によりイギリスからの独立は否決されました。投票前の世論調査では一時、独立賛成が反対を上回るなど、独立賛成派が急伸を見せましたが、最後の最後に、スコットランドの人々はイギリスに留まるという結論を出しました。

スコットランドが独立した場合には、国土の約3割が失われ、原子力潜水艦の基地移転など安全保障の問題にも直面する可能性があったイギリスにとって、この結果は一時の安堵をもたらすものでしょう。しかし、独立賛成に一票を投じた44.7%のスコットランドの人々の存在を無視することはできません。また、投票前には独立反対を促そうと、社会保障の充実や自治権の拡大をスコットランドに対して約束しています。

スコットランドの独立こそ果たせませんでしたが、今回の住民投票は、イギリスにおける今後の国のあり方に大きな影響を与えることになるでしょう。

グローバル社会におけるマイクロナショナリズム

スコットランド独立の機運が高まってきたこの40年間、一方でヨーロッパにおいて進展をみせたのがEU統合の動きです。スコットランドの独立賛成派も、EUとの連携が自分たちの独立を後押ししてくれると考えていたようです。EUのような形で、国と国との連携が進む中、その方向とは逆に、分離・独立を目論むマイクロナショナリズム(小国主義)が各地で台頭しています。そこでは、特にヨーロッパの場合、国を超えた存在であるEUが、自分たちの独立を支えてくれるという、スコットランドにみられるような考えが広がっています。

独立運動とまではいかなくとも、自治権の拡大、地方分権の推進といった議論は、世界各国で行われ、我が国も例外ではありません。そこでは、IT技術などの発展を通じてグローバル社会と密接なつながりを得た各地域が、そして中央の政府が、「いったい国って何だろう?」という問いかけに向き合うことになります。その意味においても、今後のイギリス、そして住民投票後のスコットランドからは、しばらく目が離せません。

【参考】

  • 佐藤猛郎・岩田託子・富田理恵編(2005)『図説・スコットランド』河出書房新社
  • 羽場久美子編(2013)『EU(欧州連合)を知るための63章』明石書店  
  • 山崎幹根(2011)『「領域」をめぐる分権と統合 スコットランドから考える』岩波書店
  • フランク・レンウィック(小林章夫訳)(1994)『とびきり哀しいスコットランド史』筑摩書房

解説者紹介

三田村 智