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学問×研究

国際教養学部長の宮崎緑教授は専門が国際政治学。「世界を理解するためには、まず“自らを知る”つまり軸足を持つことが重要だと考えます。国際政治学でも、どこに視点を置くか定めないと世界を読んでいくことは難しいのです。ですから、1年次の早い段階にさまざまな分野における「日本研究」の講座を置き、その1つを私も担当しています」と語ります。
平成31(2019)年4月1日の新元号制定の際には、政府の有識者メンバーの一人として懇談会に参加し、新時代の幕開けを告げる瞬間に立ち会いました。
鹿児島県奄美市の地域文化発信拠点施設でも館長を務めるなど、日本文化の研究、伝承に情熱を捧げる宮崎教授に話を聞きました。

宮崎緑

宮崎緑(みやざき・みどり)
千葉商科大学国際教養学部教授、同学部長。神奈川県出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。法学修士。鹿児島県奄美パーク園長、田中一村記念美術館館長を兼務。

国際教養学部

千葉商科大学国際教養学部は真のグローバル人材を育てるユニークなカリキュラムで知られる。新入生は全員、入学式当日に即、海外研修に出かけ、大学生活の第一歩を日本の外から始める。クォーター制で2年次には必修の留学があるが、世界に通用する教養を身につけるカリキュラムは、日本を知る⇒アジアを知る⇒世界を知るという階段構造で練られている。

—4月1日は朝から、新元号選定のニュース一色でした。有識者の方々が官邸に入って行く中に先生の姿を見つけ、歓声を上げました。先生ご自身はどんなお気持ちで会議に臨んだのですか?

ある意味で歴史が創られる現場に立ち会うのですから、与えられた役割を粛々とつとめるべく心して参りました。

—会議はどんな様子だったのですか。

厳粛な中にも和やかな雰囲気でした。一人ひとりが意見を述べた後、フリーディスカッションの時間もあり、皆さま率直な意見をおっしゃっていました。

—6つの候補について、賛成反対などの発言はあったのですか。

会議の内容について具体的に申し上げることはできません。巷間言われている候補についても数を含め、正しいかどうか言及することも差し控えさせていただきます。
ただ、複数の案には典拠を国書によるものも漢籍によるものもあった、ということは申し上げても良いでしょう。

宮崎緑

—選ばれた「令和」は国書からひいたものだそうですね。

ええ、『万葉集』の梅の花を詠んだ歌の序文「初春の令(れい)月(げつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」からとったとのことです。大伴旅人(おおとものたびと)ですね。我が国最初の元号は大化、それから平成まで247ある元号は基本的に漢籍から考案されていますので、248番目の「令和」は国書を典拠とする初めての元号となります。

—梅の花ですか。

はい。花といえば桜、となったのは平安期以降で、それ以前は花といえば梅でした。平安時代に編集された我が国最初の勅撰和歌集『古今和歌集』には、良く知られた紀貫之(きのつらゆき)の「人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの香ににほひける」という歌が収録されていますが、この花は梅です。一方、従兄弟の紀友則が詠んだ「久方の 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ」は桜です。令月に梅、は奈良時代の研ぎ澄まされた美意識だったのでしょうね。

—万葉集から、というのはどう思いますか。

当時は、実はグローバルな時代だったのですね。シルクロードやヘレニズム等を思い起こすと、文化もダイナミックに交流が行われています。万葉集に収められた歌も、貴族だけでなく、農民や防人などさまざまな人々が詠んでいて、まさに今日の世界的テーマであるD&I(diversity and inclusiveness)にも合致しています。そういう意味では、典拠としてとても深い意味があるように思います。

—「令和」に決まったことについての感想は?

人々が美しく心を寄せて新しい文化を生み出していく、という意味が込められているそうです。我が国文化は和魂漢才で紡がれてきたものが明治維新以降和魂洋才になり、第二次世界大戦後は才だけの無魂になってしまった、と言われたりいたします。そんな折に、美しく心を合わせて文化を紡いでいくという象徴的な元号が、新しい時代を拓いてくれるような期待感があります。

宮崎緑

—ところで、お召し物が話題になりました。

そうみたいですね。普通の和装だったのですが…いわゆる民族衣装は、外交のプロトコールなどでもそうですが、正装のジャンルに入ります。会議のドレスコードはありませんでしたが、日本の文化について考える場なので、自分なりに軸足をしっかりしようと和装にしました。

—すごく素敵でした。

ありがとうございます。

宮崎緑

—あれは奄美の白紬ですか。

ええ。平成13年4月より本学と兼務で、地域文化の情報発信拠点である奄美パークの園長と田中一村記念美術館の館長をつとめています。奄美は歴史的にも文化的にも沖縄と鹿児島の間に位置し、ウチナンチュでもヤマトンチュでもない、シマンチュとしての独自の文化を築いてきました。気候も亜熱帯で、この地に立つと、東京から見るのとは違う世界が見えます。特に、南西諸島は戦略的要衝でもあり、我が国のシーレーンも米国のアチソン・ライン以来の防衛ラインも、中国の第一列島線もこの上を通っています。

私の文化施設がオープンしたのが平成13年の9月30日、それからおよそ2か月で来館者が10万人に達したのでセレモニーを行ったその日に、北朝鮮の工作船事件が起こり、奄美沖で、海保の巡視艇と実弾の撃ち合いが発生、日本側にも数名の負傷者が出ました。第二次大戦終結後、他国との間で行われた初めての実戦になりました。

撃たれて蜘蛛の巣状になった風防をしばらく我が館で展示しましたが、手を伸ばせば届きそうな海でこのような事件が起こるなど、安全保障の面でも東京とは違う環境に置かれています。日本とは何か、日本文化とは、というテーマを考える際、私の軸足のひとつとして奄美を位置付けています。

—国際教養学部の必修科目にも奄美のフィールドワークがありますね。

世界と繋がり、世界を学ぶにはまず、足元から知る必要があります。日本を知り、アジアを知り、そして世界に羽ばたくカリキュラムを組んでいます。世界に通用するグロ-バル人材を育てる、これまでの高等教育にはなかったようなダイナミックなアクティブ・ラーニングを行うため、新入生は入学式の式典が終わったらその日のうちに即、海外キャンプに出かけ、クォーター制の下、2年次には必修の留学もあります。

日経新聞はこれを「弾丸スタート」と書いてくださいましたが、地球をキャンパスとする学びの座標軸として日本をどう位置づけるか、1年次の早い段階で奄美での一種のエキゾチックな体験を通して日本を深く知る契機にしています。

—その伝統工芸が大島紬ということですね。

はい。何度も泥染を繰り返し、絹糸一本一本をドットに染め分けたものを縦横で織ると模様が浮かび上がる精緻で手間のかかる技術です。

改めて、この国、この社会、この文化を考える際、私のアイデンティティーの一端として奄美の紬を身に付けました。紬には訪問着も振袖もあるのですが、会議ですので、あの日はあの程度にいたしました。

宮崎緑

—そんな深い意味があったのですね。

宮崎緑

—これから学生たちが巣立っていく令和とはどんな時代になるのでしょうか。

なる、のではなく「する」です。時代とは、今、生きている一人ひとりの集積で築かれていくものです。どうなるか手放しで傍観するのではなく、5年後、10年後、100年後にどんな時代にしたいか、そのためには今、どうすればいいか、バックキャスティングですね。そういう気持ちで主体的に学修していって欲しいと思います。

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