2025年2月12日
野中郁次郎氏を偲ぶ
経営学・組織論の大家として世界的に著名な野中郁次郎氏が、2025年1月25日に逝去された。野中氏は、第二次世界大戦中の日本軍の意思決定プロセスを分析し、『失敗の本質』を著すとともに、企業組織における「知識創造(Knowledge Creation)」や「暗黙知と形式知の相互変換(SECIモデル)」の概念を提唱し、高度成長期の日本企業の特質を世界に広めたことで知られる。社会科学の領域で世界を相手に勝負してきた、博学の学者であった。
現在、私はシステム科学や人工知能、特にエージェントモデルに基づく社会シミュレーションを専門としている。そもそも、私がエージェントの概念に初めて興味を持ったきっかけは、大学教員として筑波大学経営システム科学専攻に奉職し、経営学に興味を持つ社会人学生と議論を始めたときであった。
世の中には成功する企業と失敗する企業があり、さらに成功が継続する企業は少ない。そのため、企業戦略の策定は重要な課題である——これが、現在まで続く一般的な組織戦略論のテーゼである。 ここで登場するのが、当時発表されたばかりの野中郁次郎氏の著書『知識創造企業』に述べられていた、学習する組織の理論であった。野中氏はこの著書の中で、AndersenのAct*という人工知能理論や、認知的問題解決のアーキテクチャを引用し、組織学習の重要性を論じていた。
その結果、当時の筑波大学に所属していた企業戦略論に関心を持つ社会人学生の間で、一つの誤解が生じた。それは、「組織の学習と機械の学習の関係を学ぶには、人工知能の概念が有用なのではないか?」というものである。そして、複数の社会人学生が私の指導を望むようになった。経営組織論の分野に無知であった当時の私は、そこで初めて野中氏の組織学習理論に触れ、その関連性を研究しようと考えた。当時はまだ知識主導のエキスパートシステムが主流であり、私は経営組織理論に人工知能を適用することを試みた。
いくつかの研究成果を発表したのち、1990年代の終わりごろ、野中氏にお会いして話をする機会があった。その際、野中氏は北陸先端科学技術大学院大学の組織科学専攻の教授として、組織科学専攻の人工知能研究者との議論を経て、人工知能からはむしろ距離を置くようになっていたのが印象的であった。そして、組織内でのインタラクションを重視する「場(BA)」の概念や、最近の著書にある「二項動態(Dynamic Duality)」の概念を用いて、企業事例の分析を続けていた。
「失敗の本質」「組織学習」「暗黙知と形式知の変換プロセス」「場」「二項動態」など、野中氏が生み出したユニークな概念は、既存の学問分野の境界にとらわれない彼の姿勢から生まれたものである。これらの概念は、今後の我々の研究にとっても極めて有用であると考えている。