研究プロジェクト成果報告

研究代表者 荒川 敏彦(人間社会学部 教授)
共同研究者 権  永詞(人間社会学部 教授)
      中倉 智徳(人間社会学部 准教授)

1.研究成果の概要
本学創設者である遠藤隆吉は、日本の社会学草創期を担う社会学者の一人であった。遠藤が社会学の研究に取り組んだ19世紀末から20世紀初頭は、デュルケム(仏)、ジンメル(独)、ヴェーバー(独)らが活躍し、欧米各国に社会学会が設立されはじめた、社会学という学問が世界的に興隆する時代であった。本研究プロジェクトは、その世界的な社会学の興隆という時代潮流のなかに遠藤社会学を位置づける、社会学史的研究である。 遠藤が社会学の名を冠した著作を刊行したのは1900年(明治33年)、「同類意識」で知られるコロンビア大学のフランクリン・ヘンリー・ギディングス(Franklin Henry Giddings, 1855-1931)のThe Principles of Sociology(1896年)の翻訳であった。遠藤はその翌年1901年(明治34年)に、68ページと小著ながら単著『現今之社会学』を著した。研究初年度である2024年度は、この遠藤社会学の出発点となった『現今之社会学』の解釈作業に着手した。 『現今之社会学』で遠藤は、「社会」を「単なる人間の集合」ではなく、「合意」の上に成立する「精神の連合」がなされた集合であるものと把握する。こうした遠藤の「社会」概念の考察には、社会と個人の関係をどう考えるかという社会学の根本問題への関心や、合意による社会形成という視点から、ホッブズ、ロック、ルソーらの社会契約論の影響がうかがえる。 また、社会の組成、社会の原力、社会の心理を説く学説についてそれぞれ問題点を指摘しているが、社会現象を社会内で生じず現象全般とするのではなく、社会現象を「社会を基とし個人を通じて起る現象」と捉える遠藤の視点は、個人の行為のなかに社会を見出すことを可能にするものと言えるだろう。遠藤が「社会現象は心的なること」と述べるのは、単に個人の心理に着目するのではなく、その背景に「個人の動機」が「分業」を基盤にした「社会」にあることをもって社会学の対象たる社会現象とするという洞察があった。アダム・スミスの視点の影響を予感させるこうした議論は、デュルケム、ジンメル、ヴェーバーらの社会学理論が辿る道筋と同時代的に歩みをともにしており、欧米の社会学との関連をさらに検討すべき論点である。 本書の基本線は、個人と社会との関係の本質を捉えようとし、社会現象を論じるにあたって「集合意識」の概念を用い、集合意識がいかなる「動機」により形成されるかを探究する点にある(その動機が社会的に形成されているものが社会現象であると遠藤は考える)。前年に翻訳書を刊行したギディングスの著作からの強い影響も見られるが、「集合意識」を論じるにあたっては、当時社会学の最先端をいくフランスで展開されていたタルドとデュルケムとの論争の検討に、他の社会学説の検討よりも多くの紙幅を割いており、同時代の議論を追いかける遠藤の視点のありかを考える上で興味深い。当時すでに、アメリカ社会学のギディングスに強く影響を受けながらも、フランス社会学やドイツ社会学の研究動向にも目配りしているのである。「社会」という明治維新期に創出された概念の内実をいかなるものと規定するかを突き詰めようとする初期遠藤の社会学研究の特質が現れていると考えられる。 『現今之社会学』は小著ながら骨太の議論が展開された著作である。今後は他の著作へと対象を拡大して、遠藤が同時代の欧米の社会学を取捨選択しながら摂取し、社会現象や集合意識をいかに論じていったかを検討する予定である。