時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

日本経済はようやくデフレ経済から抜け出す気配をみせています。今後、成長経路に順調に乗れるのでしょうか。今回は、経済成長について考えてみたいと思います。

わたしは政策情報学部の教員時代に「企業評価論」という授業を担当していました。企業が株式市場でどのように評価されるのか、理論と実際、両面から学ぼうという講座でした。わたしはこの講座を「経済成長は株式会社と株式市場の発展によって実現した」という話で始めることにしていました。
一般には、経済成長は18世紀後半にイギリスで始まった産業革命で本格的に開始された、と考えられているのではないでしょうか。しかし、有名なA・マディソンの長期推計で経済成長の足取りをみますと、イギリスなどの先進国で成長が始まったのは、1820年前後からです。蒸気機関が牽引した産業革命の開始から、数十年も経過してからです。
経済成長の源泉は技術進歩、技術革新です。機械を使うことで労働者の生産性が上昇するからです。しかし、優れた機械が利用されるようになったからといって国全体の経済成長率が高まったわけではなかったのです。「「豊かさ」の誕生—成長と発展の文明史」を書いたW・バーンスタインは、経済成長にとって重要な条件として、私有財産権、自由権、法の支配、科学的合理主義を可能にする知的寛容、資本市場の発達をあげています。

それではなぜ本格的成長が始まったのが1820年頃からなのでしょうか。
バーンスタインのいう成長の条件のすべてがそろったのが、1820年頃なのですが、最後に登場したのが、資本市場の主役であり、資本主義の主役である株式会社なのです。
株式会社の形態そのものはイギリスの東インド会社から始まっています。ところが長い間、株主は無限責任を負うものとされていました。会社がつぶれれば負債のすべてを株主が負わねばなりませんでした。これではリスクが大き過ぎておいそれと株主になる訳にはいきません。
現在のように投資金額のみに責任が限定される有限責任制度が先進国で整備されるようになったのが1820年頃なのです。これによって株式市場(資本市場)を媒介にして市民が気軽に株式に投資(株主になる)したり、株式を売却する(株主ではなくなる)ことができるようになりました。株式市場も一気に大規模になりました。こうして株式会社は株式市場を通じて不特定多数の投資家から多額の資金を集めることが可能になったのです。この結果、株式会社は大きく成長し、経済活動の中核をになうようになりました。こうして技術革新から資本市場の発展までの条件が整い、先進国が持続的な経済成長経路に乗ったのです。

それからほぼ200年。最近になって、米国、欧州、日本で経済成長が終わりをつげ、先進国経済は長期停滞時代に入るのではないか、という見方が、一流の経済学者から出てくるようになりました。本当にそうなるのか。次回はこの点を議論したいと思います。
(2014年7月31日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)ほか