時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

日本の人口減少問題については、以前この欄でふれたことがありますが、今回は、合計特殊出生率(1人の女性が生涯に生むと推測される子供の数)が2007年に2.0(日本は1.3前後)を上回ったフランスが、なぜ出生率回復に成功したのか、少し考察してみましょう。

結論から述べますと、19世紀中盤以降、ドイツに痛め続けられた経験が根底にあるといわれています。

ご承知のようにドイツを含め欧州諸国は19世紀初頭、フランス皇帝のナポレオンによって征服されました。その後、新興ドイツは鉄血宰相ビスマルクのもとで軍事強国路線を推し進め、仇敵フランスをたたくことを大きな国家目標に掲げました。こうした中で普仏戦争が勃発しフランスは大敗を喫してしまいます。このことは歴史の教科書にある通りです。

しばらくして第一次世界大戦が始まりました。昨年は大戦開始後ちょうど100年、ということで、ヨーロッパ各地で記念イベントが行われたことは記憶に新しいところです。この大戦では、イギリス、アメリカの力でドイツは敗北したのですが、ドイツがまず目指したのは、ベルギーを経由してフランスを占領することでした。迎え撃つフランス軍は後退に次ぐ後退を続け、パリ落城の寸前まで追い込まれました。話はこれで終わりません。ドイツはヒットラー総統のもとで敗戦後20年にして再び世界大戦に火をつけ、あっという間にフランスは陥落しました。

つまり19世紀半ばからフランスはドイツに負け続けたということになります。これには様々な原因をあげることができますが、戦いで中核になるべき青壮年層の人口がドイツに比べきわめて少なかった、つまり人口数そのものが劣っていたことが敗北の最大の原因だとフランスの指導層は分析したということです。第一次大戦当時、兵役の中心となるべき20歳代のフランスの人口はドイツの60%未満、次をになうべき20歳未満層は半分にも満たなかったといいます。

成熟国フランスは現在の日本のように、長期にわたって出生率低迷に悩まされていたのですが、これがフランスの国力、軍事力を削ぎ落としたというわけです。フランスでは青壮年層の人口の低迷、人口の高齢化、民族の繁殖力減退の悪夢が20世紀を通して国民的脅迫観念になったという見方もあります。

したがって20世紀の100年間にわたってフランス政府は出生力回復、出生促進策を一貫して強力に推進してきました。その効果は二度の大戦には間に合いませんでしたが、20世紀後半から21世紀にかけてようやく表れてきたとみることができます。出生力回復には息長い取り組みが欠かせないということです。出生力引き上げを大きな政策目標に定めた安倍政権にとって学ぶべき歴史的教訓といえましょう。
(2015年4月24日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか