建学の精神と理念:有用の学術と商業道徳の涵養

巣鴨高等商業学校を創設した文学博士遠藤隆吉は、自らの志とする学府創立に当たり、「建学の趣旨」を次のように述べています。

創設者 文学博士 遠藤 隆吉
建学の趣旨

[ 解説 ]

学問や社会的地位、財力等がいくらまさっていても、年長者に対しては常に礼を忘れず、一歩を譲る奥ゆかしい気持ちを持つとともに、虚心にすべての人間の人格の尊さを敬仰するはもちろん、すぐれた人格の持ち主には素直にその長所を認めて尊び、かりにも自分の個人的都合などで曲解したり誹謗するようなことがないように心掛けねばならない。

天道は常に人の善行に味方し、悪事には必ずその報いを下すものであることを考えて行いを慎み、如何なる場合でも、人間として己の行うべき道をはずれぬよう注意しなければならない。

その上で、一切の人類を平等に考え、差別せず、自分の幸福と同様に他の人の幸福の増進に力を尽くし、学問は自分とともに社会の為になるものであることをよく認識して精励するとともに、その気風はあくまで堅実を第一とし、世の流行に染まらず、ぜいたくを慎み、困難を克服する旺盛な精神をもって与えられた自己の職分に忠実に従事し、自己の向上と社会の発展に寄与しなければならない。

遠藤隆吉は、昭和13(1938)年7月、千葉県津田沼に生々示宇修養道場の設立を決意し、その趣旨を明らかにするため、道場内に「生々示宇」碑を建立しました。碑の前面には、哲学者ヘラクレイトスの「万物は流転する」(panta rhei)というギリシャ語の見出しに続いて、創設者の学問的な立場を示す「生々主義」の学説が英文で刻まれています。火を万物の原理(根源)とする「パンタライ」の学説は、ヘラクレイトスが自ら戦いに敗れ、エフェソス王族の地位を失った末に見出した哲理であり、栄枯盛衰の厳しい現実を達観した末の悟りの境地に似ています。創設者遠藤隆吉は、かかる激しい現実の荒々しい変化の渦中において人々が逞しく生き抜いていくための知恵を「有用の学術」に求めました。そして、創設当初より、実学尊重の教育理念を尊重してきたのです。

また、遠藤隆吉は、次のようにも述べています。

今日商業道徳の頽廃は頗る寒心すべきものあり。外国貿易の不振も畢竟此処より来る。故に実業家となるべき者に商業道徳を吹き込み殊に武士的精神を注入するは最も急務なりと謂わざるべからず。

遠藤隆吉は、当時、武士的精神を忘れたことが商業道徳の頽廃をもたらしたことを歎き、外国貿易の不振もそれが原因であるから、実業家として世に立つ者に商業道徳を身につけさせ、武士的精神を注入することが急務であると指摘しました。商業は人と人との交流であり、未知の人と国や民族を超えて交流するには、相手を信頼し、約束を守る倫理が存在しなければならない。そのためには、日本の精神に基づいて世界の在り方を考える視点と武士的精神の涵養が重要です。巣鴨高等商業学校設立の意義は、まさに当時の商業道徳の頽廃を打破することにありました。

教育の理念:治道家の育成

遠藤隆吉の教育の理念は、高い理想のもとに現実の天職を完うする人物、総合的視点から個別科学を見ることのできる人物、すなわち「治道家」を育成することにあります。この理念を受け継ぎ、実社会に役立つ学問である「実学」を通して新しい時代の治道家を育成するのが本学の使命です。

今日的に解釈すれば、治道家とは「大局的見地に立ち、時代の変化を捉え、社会の諸課題を解決する、高い倫理観を備えた指導者」といえます。

真の教育者とは、治道家こそがそのモデルである

遠藤隆吉は、「教育学者必ずしも教育家にあらず、学者必ずしも達見家にあらず、政治家必ずしも教育学とに詳かなるにあらず。社会の病弊を洞破し、全体の上より一部を観察するは治道家にあらざれば能はず」として治道家としての自らの立場を明らかにしました。真の教育者とは教育学者でも政治家でもなく、治道家こそがそのモデルであるということを言っています。そして、教育の基本理念を次のように示しています。

教育の要は、人の大なるを知り、
人をしてその大なる所以の者を知らしむるにあり。
亦人に接するの第一義なり。

[ 解説 ]

人を教育する者は、人間は絶対的偉大なる天分を持っていることを深く認識していることが肝要である。教育者としては心から学生を愛し、人間としてこれを尊敬しなければならない。その上で、教育を受ける者に対し、人が何故偉大であるのか、どうすれば自分が人としての偉大さを発揮できるのかについて理解できるよう教導することである。このことは、ただ大学における師弟の基本的心構えであるばかりでなく、広く社会においてすべての人々が互いに接しあう上で最も基本となるものである。これを外れては大学の真の姿はなく、また人間社会の構成はもとより、その福祉幸栄は望むべくもないことを心に深く銘記すべきである。

石碑
碑の表文は、ギリシア語の「パンタライ(万物は流転する)」に始まり、続いて「生々主義」の要旨を英文で刻んである。この碑に刻まれた「生々主義」こそが、世に<エンドウイズム>といわれ、本学建学の趣旨である治道家育成・実学尊重の原点となるものなのである。

巣鴨高等商業学校設立理念

遠藤隆吉は、巣鴨高等商業学校設立趣意書に、その設立理念を次のように記しています。

「今日、世人はややもすれば実業教育を軽視せんとする。これ誠に残念である。実業家は社会の上位を占めるべきであり、実業は決して己の利益のみを目指すものではなく、社会に奉仕することを目的とする立派な事業である。実業教育はなお大いに徹底させる余地がある。」

遠藤隆吉は、当時の実業教育を軽視する社会の風潮を憂いていました。実業は、己のみでなく、社会のためになるものでなくてはならず、また、社会に奉仕することを目的とする立派な事業です。従って、社会の多様化、国際化等、現実の社会の動きに即応できる有用の学術、つまり、実学尊重の教育を実践することを目指し、巣鴨高等商業学校を設立しました。

天職の理念:適材適所の天職教育

千葉商科大学がめざしているのは、適材適所の天職教育です。天職教育とは「学術、質実、人倫」の三教育を通じ、物事を客観的に捉えた総合的な視点から、個々の判断を下すことのできる人材を育てることです。千葉商科大学ではこの考えに沿って、「実学」を重んじた教育方針を採っており、商経学部、政策情報学部、サービス創造学部、人間社会学部、国際教養学部の5学部において、社会で使える専門知識を実践しながら学ぶ体制が整備されています。