海外語学研修(アメリカ)

ウォッシュバン大学(春期)

自由であること

商経学部商学科 五味義陽

はじめに
私は、ウォッシュバン大学語学研修の24日間を通して、アメリカの文化的特徴に接し価値観が変化した。価値観が変化するきっかけは数多くあるが、その中でもより印象に残っている出来事や体験を挙げていき、なぜ変わったのかを考察していく。

日本食について
アメリカにも日本食はあったが、質は日本のものに比べて劣っていた。研修中、私は、なるべく食べないようにしていたが、他の学生はカップラーメンやタイ米を購入していた。しかし皆口を揃えて満足感は日本のものと比較して得られなかったと言っていた。

福岡大学の学生との交流について
ウォッシュバン大学語学研修に際し、福岡大学の学生も同プログラムに参加することになっていた。同じ日本でありながら、千葉と福岡、関東と九州といった国内における地域差からなる言葉の違いも感じることができた。例えば、関東での「〜しちゃった」という表現は、九州では「〜してしまった」という表現が同じ場面で用いられる。関東では多くの人が後者を少し堅苦しく感じる一方で、九州では前者をやや幼稚な表現だと感じることが多いと考えられている。また、私は九州で使われる方言なども知らなかった為、福大生と交流したことで博多弁や熊本弁をしる良い機会を得ることができた。

人柄について
ウォッシュバン大生やホームステイ先の家族はとても親切だった。授業やプログラムに含まれているアクティビティに対しての質問に丁寧に応えてくれることはもちろん、あちら側から説明をしてくれることもあった。私が感じた日本との大きな違いは「あなたはどうしたいか」という私の意見を求めてくる質問が頻繁にあったことである。日本でもそのような状況はよくあるが、聞きすぎると図々しく感じられてしまうため、程々に互いが譲り合い会話をしていると考える。
またレストランやスーパーでもネイティブの人と接する機会もあったが、その際も困惑しているそぶりを見せると親切に案内をしてくれたり、仕事には関係ないたわいもない会話をしてくれたりとホスピタリティを感じた。

仕事について
これは人柄とも重なる部分があるが日本とは違ったホスピタリティの形があると考える。日本人の仕事に対する考えは、真面目に、誠実に、周囲の関心を気にしながら丁寧に業務を遂行するという考え方が多い。実際私は小学生の時、掃除の際に無言清掃を意識するように教えられた。客観的に見てもより集中しているように見える為であると考えられる。しかし、研修先では寮の清掃員、バスの運転手、コンビニの店員など、日本のそのあり方とは大きく異なった仕事形態を感じた。寮の清掃員は、掃除をしながらヘッドホンを着けていたり、中には歌っている人もいた。バスの運転手は乗車してきた客と終始何かを話しながら運転していたり、コンビニの店員も買い物が終わった客と仕事には全く関係のない話やジョークをしていた。この光景を見て私は、アメリカでの仕事に対する考え方に賛成する。なぜなら私は、仕事で定められたことをやり遂げるならば、それ以外の要素は評価に含まれるべきではないと考えるからだ。例えば清掃員であれば、定められた場所を清潔に保つことが目的であり、無言で作業をしようと、喋りながらしようとその要素は目的に影響しない。ましてや目的以外の過程を制限しないことで、清掃員の自由を尊重することで、モチベーションを上げられる可能性も考えられる。また、誰かと話しているという状況はフレンドリーであると認識しやすく、日本より緊張感が少ない為、留学生である私たちも戸惑うことなく話しかけたり、質問することができた。このような理由で、私は仕事において目的を重要視することが仕事全体を効率化できると考える。

ジムについて
ウォッシュバン大学はトレーニング施設が充実していた。ウォーキングマシンが10台ほど、サイクルマシンが5台ほど、その他にもトレーニングマシンや、アリーナが平日は午後11時まで使用できた。研修中は週に3、4回程度通ったが、いずれの時も男性に限らず女性も夜遅くまでトレーニングに励んでいた。アリーナについても同様で、主にバスケをしていて、グループによってはフットサルやバレーをしていたりと自由に活動していた。千葉商科大学に限って言えば、トレーニング施設はあるものの、利用者は一部の人に限られていて、特に女性が利用しているのはほとんど見たことがない。私も利用してみようと思ったことは何回もあるが、一部の人に限られている為入りづらさのようなものを感じ、実際のところ一度も利用したことがない。
ウォッシュバン大学のトレーニング施設が男女問わず利用されていることの理由として、アメリカでの理想体型という根本的な認識に違いがあるのだと考える。私は研修中いくつかのアパレルショップに行ったが、そのショップの中で見るマネキンは、日本のマネキンと比べて明らかにシルエットの違いがあった。男性はかなりの筋肉質で腕や足なども日本のものと比べるとやや太かった。女性にも同じような部分が見受けられ、足は細くありながら筋肉がついていて、日本の女性の理想像である細身というよりかは、少し筋肉がついているような印象だった。私はこれらもアメリカの文化の一部であり、人々の健康に対する考え方に大きな違いを生んでいるのではないかと考えた。日本においても男女問わずにトレーニングすることは非常に重要であるし、そのような環境づくりもまた同様に大切であると考える。

まとめ
24日間という非常に短い研修期間であったが、私は日常生活における24日間では決して得ることのできない数多くの貴重な経験を通して、当たり前であると思っていた日本とは全く違う新しい当たり前を学ぶことができた。私がアメリカに来て最も日本と違うと感じたことは「自由の在り方」である。自由の形は人や地域、宗教などにより様々であるが、アメリカで見た自由とは、誰もが意見を率直に述べられる環境と、その環境を充分に活用できている国民からなされていると考える。この経験とそれから得られた知見をもとに、今後の研究でも私にしか考えられない独創的なアイデアを構築し、活用していきたいと考える。