時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

9月29日、菅義偉氏を引き継ぐ自民党の新総裁が岸田文雄氏に決まりました。岸田氏は第100代の首相に就任することになります。4人の候補者が久しぶりにしっかりした政策論を戦わせた今回の総裁選で感じたことを記しておきたいと思います。

一つは、世界の主要国の政治の主要課題がほとんど同じだということです。岸田新総裁は、総裁選を通じて、「新自由主義との決別」「新たな資本主義の構築」「成長と分配の好循環」などのキーワードを使って政策論を展開しました。ここに共通しているのは、所得・資産格差の拡大への警戒です。

つまり、経済活動に政府があまり口を出さず(「小さい政府」)、民間の市場競争を促進することで経済成長を確保するという新自由主義の考え方が浸透した結果、富裕層はますます裕福になり、低所得層が取り残されることになった。その結果、中間層が衰退し、社会が「持つ者」と「持たざる者」に分断し、政治への国民の不満が高まっている。今回、岸田氏が、新自由主義との決別を宣言し、資本主義の再構築を主張しているのもそのためです。
各候補もほぼ共通に「分厚い中間層の構築」を訴えていました。筆者の記憶が正しければ、「分厚い中間層」という表現は、民主党政権時代の野田佳彦首相が使ったのが初めてだと思います。

この「格差拡大現象」「中間層の凋落」は先進主要国共通の課題となっています。9月26日、メルケル首相が16年間首相を務めているドイツで連邦議会選挙が行われ、中道左派、社会民主党(SPD)が、メルケル首相の中道右派、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)を破りました。また、アメリカではバイデン大統領が富裕層への増税を原資に大規模な社会インフラ強化に乗り出そうとしています。

もう一つは、岸田氏が最も伝統のある宏池会に属しているということです。宏池会は「国民所得倍増計画」で有名な池田勇人元首相が創設した自民党内の広島県出身のリベラル派議員を中心としたグループで、これまで池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一の4人の首相を輩出してきています。岸田氏が5人目となります。宮澤政権が誕生したのが1991年ですから岸田氏はそれから実に30年ぶりの宏池会所属の総理大臣ということになります。

筆者は宮澤首相が提唱した「生活大国5か年計画」(1992年~1996年)の策定に経済審議会委員として参画しました。この5か年計画が政府の本格的な経済計画としては最後になります。政権誕生当時、宮澤政権は、「保守本流の本格政権」といわれていました。それだけに経済成長率の引き上げ、経済規模の拡大を目指してきたそれまでの経済計画とは決別し、経済規模拡大に見合った内需の拡大、国民生活の向上を経済政策の柱に掲げたのです。格差縮小を訴えた岸田新総裁は、「令和版所得倍増」を標榜していますが、歴代宏池会の経済思想を反映したものといえましょう。

アメリカのミルトン・フリードマン教授らが主唱した新自由主義の考え方は、イギリスで1979年に誕生したマーガレット・サッチャー政権がそれまでの労働党政権の福祉国家政策批判として経済政策に取り入れたのが最初のような気がします。当時、第2次石油ショックによって世界経済は深刻な同時不況に苦しみ、政府は財政難に陥っていました。鉄道、石油、航空事業などの国有企業の民営化、公的規制排除を通じて市場競争を促進し成長力を高めようという、いわゆる「サーチャー革命」の考え方は、アメリカのロナルド・レーガン(1981年)、西ドイツのヘルムート・コール(1982年)、日本の中曽根康弘(1982年)各政権の経済政策に大きな影響を与えました。日本では2001年に誕生した小泉純一郎政権のもとで「改革なくして成長なし」を標語に強力に進められたことは記憶に新しいと思います。

岸田氏は次のように述べています。「『成長なくして分配なし』だが、『分配なくして次の成長もない』のも事実である。成長と分配の好循環を実現し、全国津々浦々に成長の果実をしっかり届けたい。できるだけ幅広い国民の所得、給与を引き上げる政策をとる」。大いに期待したいところです。
(2021年9月30日記)


内田茂男常学校法人千葉学園理事長

【内田茂男 プロフィール】
1965年慶應義塾大学経済学部卒業。日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、2000年千葉商科大学教授就任。2011年より学校法人千葉学園常務理事(2019年5月まで)。千葉商科大学名誉教授。経済審議会、証券取引審議会、総合エネルギー調査会等の委員を歴任。趣味はコーラス。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか