時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

安倍政権が現在の人口減少傾向に歯止めをかけ、2060年でも1億人は維持したいといういわゆる「人口1億人計画」を打ち出しています。国立社会保障・人口問題研究所が2012年に発表した将来推計の中位推計では2060年に8700万人程度に減少することになっていますから、かなり思い切った目標設定といえるでしょう。政府はこの目標達成のために、女性が子育てしやすく、働きやすい環境の整備を中心にさまざまな施策を検討しています。果たして人口減少に歯止めがかかるでしょうか。

この問題を考える前に、なぜ日本の人口が減り始めたのか、検討してみましょう。人口が伸び悩んだり減少するのは移民で成り立っているアメリカを除けば先進国が以前から経験してきたことです。筆者は50年も前になりますが、学部(経済学部)のゼミで人口学を学びました。人口統計学とか人口経済学を包含したいわゆる人口学(demograghy)という分野は日本では専門家も少なくマイナーな時代でした。

そこで「人口転換」という概念を学びました。先進工業国では、多産多死(たくさん生まれるがたくさん死ぬ状態)から少産少死へという共通の人口変動パターンが観察され、この全過程を人口転換というのです。

ヨーロッパ諸国は産業革命前後から人口転換が始まったとみられています。産業革命によって、技術進歩 → 労働者の生産性上昇 → 生活水準の上昇、という循環が始まり、同時に民主主義的考え方が広がったことが原因だと考えられています。つまり人々は自分の将来への準備(将来のリスク軽減策)として子供をたくさん産む必要がなくなりましたし、医術の進歩で死亡率が低下しましたから、少産少死への転換経路に乗ったというわけです。

日本も西欧諸国に遅れながらも同様の経路をたどったのです。ただ日本の人口転換にはきわだった特徴があります。戦争直後のベビーブーム期が短期間で終わった後、ヨーロッパ先進国でも例を見ないスピードで出生率が低下していったのです。一方で公衆衛生システムの整備によって死亡率も急速に低下し、平均寿命があっという間に世界最先端に並びました。急激な少子高齢化と人口減少という現在の大問題の淵源がここにあるのです。

それにしてもベビーブーム後、なぜ急激に出生率が低下したのでしょうか。1948年に母体保護を目的にした優生保護法(現在は母体保護法に改められている)が制定され、人工妊娠中絶が公認されたことが大きく影響したと考えられています。

制度の変更によって人々にとってのメリット、デメリット(人々の利害)の関係が変わると人々のインセンティブが変化するという経済学の基本原理がありますが、日本人はとりわけこの原理に敏感なようです。

とすれば、女性が子供を育てやすい環境の整備に政府が本気で取り組むという姿勢が伝われば、出生率が将来上昇していく可能性は十分にあると思います。もっとも「1億人計画」は、2030年までに合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと想定される子供の数)が人口の再生産が可能とされる2.07(昨年は1.42)に回復するというそうとう大胆な前提を置いています。
(6月20日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)ほか