時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

「アメリカ第一主義」を掲げるトランプ大統領は、中国や日本との貿易収支不均衡(アメリカの貿易赤字)が、アメリカ人の雇用を奪っている、と声高に主張しています。この主張は理論のうえではまったくの間違いなのです。この点について後日触れたいと思いますが、今回は、この景色には既視感(デ・ジャブ)がある、という話でまとめます。どこかで以前に見た景色というのは、日米貿易摩擦がしつこく燃え盛った80年代の景色です。まさにそっくりなのです。したがってこの時代に何があったのかをよく検証してみればトランプ政権の今後の出方をかなり的確につかむことができるはずです。

筆者は日米貿易摩擦の経緯を三つのフェーズで分析したことがあります。フェーズ1は、1968年から1972年。摩擦の初期段階で、テーマは繊維でした。ヤマ場は日本の対米繊維輸出を抑制する「日米繊維協定」(1972年)です。沖縄の日本返還の見返りのかたちをとったので、糸(繊維)で縄(沖縄)を買ったといわれました。

フェーズ2は、1977年から1979年。日本の輸出競争力が強くなった鉄鋼、カラーテレビの輸出の規制を目的とした、それぞれ「トリガー価格制度」「市場秩序維持協定」の締結で決着しました。

最後のフェーズ3は、1980年代以降。文字通りアメリカを象徴する乗用車やコンピューター、半導体などのアメリカが得意としていたハイテク産業が標的となりました。乗用車については1981年に日本側の「輸出自主規制」が行われることになりましたし、半導体その他についても、協定のかたちで日本の輸出を規制する措置がとられました。

以上のように日米摩擦の対象は日米両国の産業構造の変化に合わせて労働集約産業からハイテク産業に移行してきたことがわかります。またフェーズ3は製造業だけでなく、金融・資本市場や流通業などサービス産業にも摩擦が拡大したことが特徴です。1983年11月、東京で行われた日米首脳会談(中曽根・レーガン会談)をきっかけに日米円・ドル委員会が設置され、日本の金融自由化、金融本市場の対外開放が一気に進むことになりました。

このようにアメリカが対日攻勢を強めてきた背景には、ベトナム戦争を契機にアメリカの経済力が低下し、貿易収支が1970年代後半から悪化したことがあげられます。80年代に入ってアメリカの貿易収支は明確に赤字構造に変わってしまいました。反対に日本は80年代に黒字構造が定着し、現在に至っています。

トランプ政権が日米貿易収支の不均衡(アメリカの赤字・日本の黒字)を問題にし、その関連でトヨタ自動車を名指しでけん制したことからしますと、フェーズ3はいまだに終わっていないということになるでしょう。というよりもこれから80年代の日米摩擦とほとんど同じ光景が表れる可能性があります。

フェーズ3のアメリカの対日経済戦略をもう少し克明に読み取ると、次のような姿が浮かんできます。まず乗用車に代表される日本側の対米輸出自主規制によって日本製品の輸入を抑える。次に米国の法律(通商法)をもとに「一方的に」、日本を不公正貿易国に特定し、日本の一部輸出品に高率な関税をかける。最後にアメリカの対日輸出増加を目的にドル安・円高に向け圧力をかける。当時、アメリカはレーガン大統領の「偉大なるアメリカ」政策のもとでドル高を指向していました。ところが80年代半ばには、実力不相応なドル高によってアメリカ製品の輸出が抑えられているのではないか、という見方が政府内で有力になっていました。ドル高の是正をG5(日本、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツの先進5カ国)が認めたアメリカ主導による「プラザ合意」(1985年9月)はこうして成立したのです。

このようにフェーズ3でアメリカは3段構えで貿易赤字対策を講じてきたとみることができます。トランプ政権も多分同じような手段を組み合わせてくるでしょう。すでにその兆候は表れています。余談ですが、「プラザ合意」が行われたニューヨークのプラザホテルはトランプ氏の所有のはずです。
アメリカの貿易赤字構造はいまだに解消していません。この点は次回以降、触れたいと思います。
(2017年2月10日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか