時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

正月にはいつも数冊の本を買い込んで読もうとするのですが、読了するのはせいぜい2~3冊です。その中でことしは大きな収穫がありました。昨年夏に翻訳・出版された「パナマ文書」(バスティアン・オーバーマイヤー、フレデリック・オーバーマイヤー著)です。以前から闇に包まれているタックス・ヘイブン(tax haven 他国の企業や個人に税制上の優遇措置を与えている国・地域)については関心があったのですが、この本でほぼ全貌がつかめたような気がしました。

家族と休暇を過ごしていたドイツのある新聞記者のもとに、一通の匿名メールが届く。「極秘情報を持っている。興味があるか?」。このメールが実に2.6テラバイト(2.6兆バイト)という途方もない情報量を持つ「パナマ文書」の発端でした。

わたしも記者時代、タレコミ情報には眉に唾をつけながらも大いに関心を持ったものですが、南ドイツ新聞のバスティアン・オーバーマイヤー記者は、ジョン・ドゥと名乗る相手と巧みに接触し続けました。その結果、中米の小国、パナマにあるモサック・フォンセカという法律事務所の20万社を超える顧客データの入手に成功したのです。このデータはワシントンのICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)に送られ、そのもとで日本を含む世界80カ国、400人以上のジャーナリストが1年以上をかけて内容の解析と整理に当たりました。その結果が昨年4月3日に世界一斉に公開されたのです。

「パナマ文書」はその取材経過をまとめたものです。 一体なぜそれがそんなに大変なことなのでしょうか。なんといっても国際的に名が知られ影響力も大きい政治家、資産家、多国籍企業、スポーツ選手が、タックス・ヘイブンにペーパーカンパニーを作って税金逃れをしている実態が具体的に明らかになったことです。

不正な税金逃れをしていたアイスランドの首相は文書が公表された直後の昨年4月9日に辞任しました。政治家ではアルゼンチン、アラブ首長国連邦、ウクライナの現職大統領、ロシアのプーチン大統領および中国の習近平共産党総書記の係累や親友などの名も出ています。スポーツ界ではサッカー史上最高の選手といわれるバルセロナ所属のメッシ(アルゼンチン)やFIFA(国際サッカー連盟)の幹部、企業ではドイツ銀行以下の大銀行が不正に手を貸したとされています。業界では大手といってもパナマの1法律事務所が扱っている案件だけでこんなにも驚くべき情報が含まれていたのです。

タックス・ヘイブンとみられている国・地域は世界にいくつもありますが、代表的なのはイギリス領のバージン諸島、ケイマン諸島、バハマ、パナマ、香港、アメリカのネバダ州など。日本政府の官僚としてタックス・ヘイブン問題に取り組んだ故志賀桜氏は、著書「タックス・ヘイブン」で、これらタックス・ヘイブンは(1)まともな税制がない (2)固い秘密保持の法律がある (3)金融規制やその他の法規制が欠如している——の三つの特徴があると指摘しています。脱税や節税をしようとする人々は、タックス・ヘイブンにモサック・フォンセカなどのオフショア・プロバイダーを通じてペーパー・カンパニーを買収したり新設しそこに資金を移して税逃れをするのです。そのペーパー・カンパニーの多くは無記名株で設立されているため「真の所有者」はわからない仕組みになっているのです。オーバーマイヤー記者らは報道することによって命をねらわれる危険をおかしてデータのジャングルから「真の所有者」を可能な限り探りそうとしているのです。これからも新たな事実が次々と明らかにされるはずです。この情報をもとに各国、各機関で捜査が進んでいますから、今後、摘発されるケースが増えてゆくだろうと思います。

「パナマ文書」によりますと、EU(欧州連合)だけでも毎年1兆ユーロ(約120兆円)が脱税や節税で国民の手から失われているということです。タックス・ヘイブンを利用しているのは、いわゆる富裕層だけではありません。武器商人、人身売買仲介者、麻薬密売人、アルカイダのようなテロ組織などあらゆる犯罪者、ごろつきが汚い金を扱うのに利用しているのです。

モサック・フォンセカのデータをハッキングしオーバーマイヤー記者に流してきた人物はいまだに不明です。このジョン・ドゥこそが犯罪者から命をねらわれるリスクを負っているといえるでしょう。大変ですが、これからも頑張ってほしいですね。
(2017年1月15日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか