時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

「社員は悪くありません」。20年前の1997年11月24日、日本の証券業界をリードしてきた山一証券が自主廃業届を大蔵省(現在の財務省)に提出、創業100年を直前にして倒産しました。この記者会見の席で野澤社長が涙ながらに発した言葉がこれです。この日の会見の様子はテレビで繰り返し放送されたので、覚えている方も多いと思います。いまも動画サイトで流れているのを発見しました。当時の長野・大蔵省証券局長がインタビューされている姿も映っています。

この年の夏、金融・証券市場の大制度改革(日本版金融ビッグバン)をうたった答申が橋本首相(当時)に提出されたのですが、長野証券局長は証券取引審議会の事務局責任者、筆者は委員として参加していましたので大変懐かしい気持ちで動画サイトを見ました。

本題に入りましょう。野澤社長の冒頭の発言は余りにも有名になりましたが、「現場は頑張っているんだ」「日本の経営は現場が支えているのだ」という言い方は、日本の経営を語るときには、決まり文句のように言われてきました。

1980年代、TV、VTRのようなエレクトロニクスから産業用ロボット、半導体、光学製品さらには鉄鋼、自動車まで日本の工業製品が世界を席巻し、日米、日欧の貿易摩擦が絶えなかった時代、「QC(Quality Control)サークル活動」に象徴される日本の現場力の強靭さは、アメリカが官民一丸となって研究対象としたほどです。
QCサークル活動というのは、工場現場の従業員が業務終了後、作業グループごとにミーティングを行い、その日の業務の問題点を洗い出し、改善策を検討する活動で、80年代当時、日本では製造業から始まって、金融・サービス業までこの活動が浸透したのです。このことが日本の製品やサービスの品質のよさにつながったと言われました。

これを象徴するような話があります。80年代初頭、アメリカで開かれた日米半導体セミナーで次のようなエピソードが紹介されました。ある日本の大手半導体メーカーの地方工場での話です。新設されたその地方工場の製品の品質にばらつきがあることが問題となっていました。原因がなかなかわからなかったのですが、ある日のサークル活動で、一人の女性従業員が、近くを走る電車の振動が原因ではないかと言ったというのです。調査してみると、まさにその通りでした。アメリカでは現場の作業員は与えられた仕事をこなすだけで、終業時間がくれば作業が途中でも放り投げて帰ってしまう—。アメリカの経営者はこの話に関心しきりだったといいます。

これは美しき過去の時代のこととなってしまったのでしょうか。いま国会で審議中の働き方改革関連法案に関連して厚生労働省が出した労働時間のデータに多数の誤りや扱い方の不備があったことが明らかになりました。このままでは安倍政権の成長戦略の目玉政策である裁量労働制の導入を含めた「働き方改革」がとん挫する可能性もあるということです。

厚生労働省といえば、第一次安倍政権の時代に実に5,000万件もの年金記録に誤りや不備があると当時の社会保険庁が公表した「年金記録問題」がありました。のちに都知事となった舛添厚生労働大臣がお詫びに追われていたことを思い出します。

ことは「官」に限りません。「民」でも大手自動車メーカー、大手素材産業などで製品の検査データのねつ造が明らかになっています。かつて品質の良さ、現場の強さを世界から評価されていた日本産業の根幹を揺るがしかねない重大事態といえましょう。現場でなにが起こっているのでしょうか。紙数が付きました。次回、考えてみたいと思います。
(2018年2月26日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか