時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

3月26日、国土交通省が無資格の従業員が完成検査をしていた問題で、日産自動車に業務改善指示を言い渡しました。同社は昨年9月の問題発覚後も検査が適切に行われていなかったことから、石井国土交通相は西川日産自動車社長に「経営層を含む組織の責任はきわめて大きい」と述べたと報道されています。この結果、同社は再発防止の進捗状況を四半期ごとに報告することを義務づけられ、さらに国交省は同社を重点監視対象として抜き打ち検査の頻度を増やすことになりました。

国交相の発言にもあるように、現場力の問題は、結局、経営者の問題ととらえた方がよさそうです。二つの側面から考えてみましょう。一つは、会社の現場は経営者の方針に従うことが義務づけられているということです。トップの経営方針に基づく業務命令がすべてです。上司の指示に従わなければ業務命令違反ということになり、一定の処罰の対象になります。

新幹線の台車を大事故につながりかねないほど薄く削ったり、手抜きの検査をしたりということを現場の判断のみで行ったりするとは考えられないのです。現場でトクになることはなく、したがってそんなことを行うインセンティブが働くはずがないのです。これは製造現場でも本社部門でも同じです。東芝で巨額な粉飾決算が発覚しましたが、現場はやってはいけないと知りながらトップの命令に従わざるを得なかった実態が第三者委員会の調査報告で明らかになっています。

国会を騒がせている、森友学園をめぐる財務省の文書書き換え問題も同じ構図です。財務局長の独断で書き換えが指示されたかどうかは別にして現場は権力者の指示命令に従ったに違いありません。現場の職員が自分の意志で書き換えを行うメリットはなにもないのです。近畿財務局で自殺者が出たのはその証拠だと思われます。

もう一つの側面は、少なくとも会社にはかつてはあった経営者と現場の一体感が失われているのではないか、ということです。バブルが崩壊し、日本経済の成長力が急激に低下した90年代以降、どうも経営者と現場のベクトル(目指すべき方向性)が一致しなくなった、このことが問題の根源にあるような気がしてなりません。日本経済が成長経路を突き進んでいる時代は、まじめに頑張れば会社も社員も豊かになれる、ということで経営者と社員(現場)はウインウインの関係でした。しかし、成長が止まってくると、経営者はリストラに走り、現場は厳しい経営目標の達成に汲々とするという構図ができあがりました。

ここで強調しておきたいのは、90年代後半から経営者の行動理念が大きく変化したことです。それまでは、いわゆる「日本的経営」のもとで、少なくとも中堅企業以上の会社の経営者は終身雇用制を守り、従業員(現場)と一体化していました。当時の経団連などのアンケート調査で大部分の経営者は「経営にとってもっとも大事なのは従業員だ」と答えていました。ところが日本の株式市場の国際化が進んだ現在は全く様相が異なります。株式会社の所有者は株主であり、経営の目標はできるだけ株価を上げ、株主配当を増やすことだ、というアメリカの考え方が浸透してきているのです。当欄でも以前にふれたように、会社の利益は史上空前の好調ぶりなのに、従業員の給料は停滞したままで配当は増加している、というのが実態なのです。

株主も大事だが、経営の現場を支える従業員(現場)なくして経営はない、ということを経営者は肝に銘じる必要があります。しかし、経営者は変われるのでしょうか。この問題は改めて考えることにしたいと思います。
(2018年3月27日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか