時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

公開中のスピルバーグ監督の米映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を観ました。国会を揺るがせている財務省の文書改ざん問題に関連してこの映画は多くの示唆を与えてくれているように思います。

ペンタゴン・ペーパーズは、終戦直後からベトナム戦争に至る米国の対外政策の決定過程を詳細に記した最高機密文書のことです。その存在は、ベトナム戦争が泥沼化していた71年6月、アメリカを代表するクォリティ・ぺーパー、ニューヨーク・タイムズ、続いてワシントン・ポストがすっぱぬいたことで国民の前に明らかになりました。映画ではメリル・ストリープ扮するワシントン・ポスト紙社主、キャサリン・グラハムとトム・ハンクス演じるベン・ブラッドリー編集主幹など編集陣が「国民に真実を伝える」というメディアの使命に殉じる覚悟で、国家機密だとして隠蔽を計るニクソン政権を相手に社運を賭した戦いをいどむ場面が迫力をもって描かれています。最高裁の判決で敗れたニクソン大統領はこの後、例のウォーターゲート事件に手を染め、その座を追われたのです。このウォーターゲート事件報道はボブ・ウッドワードなどワシントン・ポストの敏腕記者が特ダネを連発し、終始、ジャーナリズムをリードしました。

この最高機密文書で明らかになった重要事実は、ベトナム戦争に勝てるという見通しがないままにとりわけジョンソン大統領の下で北爆を含む戦線の拡大が行われ続けたということです。「自分が敗軍の将になりたくない」というのがその理由だったのです。派遣米軍は50万人超に達し、死者は5万人を超えました。

この時代をジャーナリストとしての前半の時期を過ごした筆者やその仲間たちにとってベトナム戦争は常に関心の的であり、現場にいなくても身近なものでした。サイゴン特派員だったT記者は米軍撤退直前にベトコンのロケット弾攻撃に遭遇し殉職しました。その遺体を本国に移送する手配のために派遣された筆者の親しかったS記者はそのまま現地駐在を命じられ、米軍ジープに同乗して前線取材中に大けがをしていまだに後遺症に悩まされています。彼は取材中に消息を絶った仲間の足跡を、ベトナム戦争終結後も長期にわたって探索していました。

わたしたちの当時のバイブルはピュリッツァー賞を受賞したD.ハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」(1972年刊)でした。この本でハルバースタム記者はベトナム戦争を遂行したケネディ、ジョンソン、ニクソン大統領とそのもとで辣腕をふるったR.マクナマラ(ケネディ、ジョンソン政権の国防長官)などの典型的な知的エリートが、なぜ非合理な戦争を続けたのか、詳細を克明に記しています。ついでに触れますと、トランプ大統領の懐刀で、フェイク・ニュースを流してきたといわれるスティーブ・バノン首席戦略官(すでに解任されました)が周辺にこの本を薦めていたということです(マイケル・ウォルフ「炎と怒り」)。なおペンタゴン・ペーパーズの存在を最初に察知し報道したニューヨーク・タイムズ、ニール・シーハン記者の活躍ぶりはハリソン・ソールズベリー「メディアの戦場」で如実に描かれていますので一読をお勧めします。また、ワシントン・ポストの動きについては当時のキャサリン・グラハム社主が自ら執筆した大著「キャサリン・グラハムわが人生」で詳細に知ることができます。映画はこの本の記述を正確に再現したことがわかります。いずれもジャーナリストにとっては必読書といっていいでしょう。

これらを通じて改めて感じるのは、メディアがコストをかけてでも地道に真実を追いかけることの大切さです。質の高いメディアは権力者から国民を守るほとんど唯一の媒体だということです。もう一つは、為政者は事実を記録として残す責務があるということです。人間コンピューターと言われたマクナマラ国防長官は、アメリカ国民を欺いてベトナム戦争を続行した張本人とまでいわれてきましたが、7000ページにも達する正確な記録を残すように指示したのは当のマクナマラその人だったのです。政府文書の改ざんが平気で行われている観のある日本の現実とのあまりの落差に驚きます。
(2018年4月19日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか