前回は最近まで40年近くの上海の変貌ぶりを概観しました。今回は市井の人々の生活や考え方の変化について感じたことを記しておきたいと思います。その前にこのテーマに関連してぜひ一読をおすすめしたい本があります。アメリカのジャーリストのエヴァン・オズノスという人が書いた「ネオ・チャイナ—富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望」(笠井亮平訳 白水社)です。北京師範大学に留学した経験のある著者は、アメリカの新聞社の特派員として2005年に北京に派遣され、以降8年間、現地で中国の取材にあたった人物です。
毛沢東が新中国を建国して以来、「中国という問題」は世界のジャーナリストの関心を集め続けていますが、オズノスという記者の取材の着眼点のすばらしいところは、いろいろなジャンルの人々の考え方の変化を、親しい特定の人々を対象に定点観測の手法で継続的に追っていることです。彼は「中国人の野望は、食料や物量から、心のよりどころ、新たな発想への渇望に変化してきている」と述べています。今回の上海訪問でもまさにそんな感慨を抱きました。
かつてわたしのゼミに所属していた何人もの留学生が上海に帰って立派に仕事をしています。今回の上海行きは、彼ら彼女らにほぼ2年ぶりに会うのが目的でした。卒業から10数年、教え子たちの変化を“定点観測”してきました。当初は質素な服装だった彼らが、数年するとおしゃれをして新車で現れるようになりました。やがて多くは結婚し、当初は夫婦で、次いで子供連れで、そのときどきの上海話題のレストランで会食するのがならわしとなりました。
そして今回。子育て中のある卒業生が自宅でパーティーを開いてくれました。彼女の自宅は守衛所のあるかなりの規模のマンション群の一角にあるのですが、中は3階建てになっていて1階90平方メートル、合計270平方メートルということでした。子供を入れて15人ほどのこの日のパーティーのために専門の料理チームを雇っていました。
集まった数家族のほとんどが小学校低学年の子供持ちでしたから、話題はもっぱら子供の教育でした。ほぼ共通していたのは、英語、ピアノ、水泳を習わせていることでした。中には英会話の勉強に昨年に続いて今年もアメリカのシアトルで行われるサマースクールに参加するという者もいました。一カ月間、しかも彼女の父母を交えて3世代総出で出かけるということでした。起業している卒業生の一人は、フィリピンでの英語合宿にこのところ毎年参加している、と言っていました。
とにかくアメリカへの関心はきわめて高いのです。小学4年生だという男児は「僕の夢はハーバード大学に留学して科学者になることです」と堂々と宣言していました。父親が近くアメリカに赴任するということでした。ちなみにこの日の会話は子供たちを含めすべて英語でした。
街に出るといたる所に、「富強」で始まる、習近平国家主席の「中国の夢・私の夢」のスローガンが電子掲示板や張り紙で掲げられています。小学校では生徒全員が毎朝唱和するということです。しかし、このスローガンがどれだけ一般の人々の心に響いているのでしょうか。前述のオズノス氏は「習近平主席の「中国の夢」は「中国のそれぞれの人の夢」と受け取られている」と記しています。「中国人が求めているのは、もはや食料だけではない。新たな発想や「心のよりどころ」だ」とも。引き続き13億人の中国に関心を持ち続けたいと思っています。
(2018年6月25日記)
【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。
<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか