時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

前回は、ちょうど25年前、1993年に初めてカンボジアを訪れた際の経緯を記しました。内戦が収束に向かい、国連監視の下で総選挙が行われた時期でした。国連平和維持活動に陸上自衛隊が初めて派遣され、その様子を視察するために政府から派遣されたのでした。そのカンボジアを昨年11月に再び訪れる機会がありました。今回はその再訪の報告です。

目的はポルポト派がまだ活動中で訪問できなかったアンコールワットの見学でしたが、きっかけとなったのは、長年アンコールワットの遺跡修復に携わっている上智大学の調査チームを率いている石澤良昭教授からのお誘いでした。

上智大学の調査団が長年、アンコールワットの修復に取組んで成果をあげていることは世界的にも評価され、NHKの特別番組などでも紹介されてきていますので承知していましたが、筆者の友人が上智大学の役員で石澤教授と親しかったこと、昨年、同教授が名誉あるマグサイサイ賞を受賞されたことなどがきっかけとなって急にわたしたちの現地視察の話がまとまったというわけです。

世界文化遺産となったこともあってアンコールワットはいまや年間500万人もの観光客が訪れる世界的観光地となっていますが、1970年以降の内戦、150万人ともいわれる知識階級が虐殺されたポルポト政権(1975年誕生)下での圧制によってアンコールワット遺跡も苦難の道を歩んだのです。

石澤教授(上智大学長、文化庁文化審議会会長を経て同大学人材養成研究センター所長、同大学アンコール遺跡国際調査団長)は、上智大学卒業後、アンコールワットの碑文の研究に携わっていましたが、1980年、カンボジア政府から遺跡の保存調査を依頼されたということです。しかし本格的に遺跡保存活動を始めることができるようになったのは、内乱が収束に向かった1991年だといいます。かつての仲間だったカンボジアの保存官40人ほどのうち生き残っていたのはわずかに3人だったと教授は述懐しています。

上智大学のアンコール遺跡の修復・保存の基本方針は、現地の人材を育成し、「カンボジア人によるカンボジア人のための修復」だと石澤教授は強調しています。フランス統治時代にも修復は行われていましたが、現地でわかるのはコンクリートで崩れた箇所を固めるというフランス型の乱暴なものでした。上智大学方式はそれへのアンチテーゼといえるでしょう。そのため上智大学は1996年に現地に「上智大学アジア人材養成センター」を設立し、97年からは遺跡の保存、修復、調査研究に必要な知識・技術を取得させるため留学生を受け入れています。その中からすでに7人の博士が生まれ、現地で活躍しています。

同大学の調査隊は現在、アンコールワットの主要参道である西参道(200メートル)の修復に取り組んでいます。
1996年から2007年に第1期を終了し、現在は2020年までの第2期工事の最中です。観光客は修復期間中、平行して作られた仮設の通路を利用しているのですが、わたしたちは西参道そのものを歩きながら修復の実際を見ることができました。この第2期修復工事には6億円の費用がかかるということで、日本政府のODA(政府開発援助)と寄付などでまかなわれます。この一環として上智大学がこの春、1,000万円を目標にクラウドファンディングで寄付を募ったところ、1,500万円以上が集まったということで石澤教授は大変喜んでいます。実は、資金不足を補うために石澤先生ご自身が現地で観光客のガイドをつとめているというお話もうかがっています。

これに関連して現地で感じたのは中国がアンコール遺跡の修復支援に多額の資金を投入しているということです。アンコールワットはもともとヒンズー教の寺院として作られたという経緯をみれば当然かもしれませんが、インドも大変力を入れていると聞きました。

総選挙を監視する国連平和維持活動として日本の陸上自衛隊が92年に初めての海外派遣活動としてカンボジアに駐留(タケオ基地)し、93年の選挙でフン・セン政権が誕生して以降は、日本政府は積極的に援助してきました。他方でカンボジア文化の象徴であるアンコールワットの修復・保存に上智大学チームが早くから真摯に取り組んできたのです。昨年、「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を授与されたのもその功績が評価されたからです。

しかし、いまやカンボジアへの海外からの直接投資の半分を中国が占めています。7月の総選挙で中国が後ろ盾のフン・セン首相が勝利しました。中国が資金力にまかせてアンコール経済を支配しているという見方もあります。アンコールのあるシェムリアップでは北朝鮮が寄付したという少なくとも表面は立派な博物館もありました。やや複雑な思いをしたことを報告しておきます。
(2018年9月27日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか