時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

今回はハン・スーインという女性の話から始めたいと思います。そういっても若い人にはまったくなじみがないかもしれません。新聞のコラムに書いたことがあるのですが、日本では「慕情」(原題は”Love is a many splendored thing”。1955年公開)のタイトルで上映されたハリウッドの名画の原作者です。彼女は中国人を父にベルギー人を母に持つ混血として生まれ、ロンドン大学で医学の学位を取得したということです。

香港を舞台にした悲恋物語は彼女の自伝といってよく、映画では女医の彼女をジェニファー・ジョーンズ、相手役のアメリカの新聞記者をウィリアム・ホールデンが演じて原題と同名の主題曲ともども世界中の映画ファンを魅了しました。

ジェニファー・ジョーンズのファンだったこともあって前置きが長くなってしまいました。そのハン・スーインが1967年に「2001年の中国」(松岡洋子訳 原題は”China in the year 2001”)という本を書きました。67年といえば毛沢東がプロレタリアート文化大革命を推し進めていた真っ最中ですが、彼女はこの本の中で「物質的な報酬のためではなく共同体の利益のために、自分のためではなく他人のために。このように動機の内容を変え、集団の自覚を高める精神は、一歩一歩と養われ、その跳躍台となるのが毛沢東思想の学習である」として「2001年頃には中国は強力な工業化された社会主義国家になるだろう」と書いています。

しかし、人間改造を目指した文化大革命は1976年の毛沢東の死、その後の江青以下4人組の失脚で終わり、中国の経済システムは、人間の利己心の発揚を経済発展の原動力に位置づけた鄧小平の市場経済化路線へと大転換を遂げました。くしくも2001年は市場経済化が一つの到達点に達した記念すべき年となりました。この年に中国の世界貿易機関(WTO)への加入が認められ、グローバル経済への仲間入りを果たしたのです。海外の企業と競争することによって経済全体の生産性向上をねらった当時の朱鎔基首相が主導したといわれています。

中国のWTO加盟と軌を一にして国際貿易が拡大し、2008年9月のリーマン・ショックまで世界経済は順調な成長経路をたどったことは周知のことでしょう。リーマン・ショックは世界経済を震え上がらせましたが、どん底からの回復を主導したのも中国でした。中国政府が巨額の公共投資を敢行し、世界の需要を刺激したのです。2010年には日本を抜いてアメリカに次ぐ世界第2のGDP(国内総生産)大国となりました。しかし、ことしになって中国経済の高成長にブレーキがかかる気配が出てきました。

「慕情」の公開からちょうど60年、ハン・スーインが「2001年の中国」を著してからほぼ50年が経過しました。この間に中国経済は文化大革命による混沌の時代、その後の高度成長期を経て、現在は安定成長経路を模索しているように見えます。過剰人口を回避するために1978年に導入された「一人っ子」政策も廃止されることになりました。次回は、中国経済の現状に焦点をあてたいと思います。
(2015年11月9日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか