時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

今年の4月で「平成」時代が幕を下ろします。1989年1月7日午前9時に昭和天皇(正確には1989年1月31日から昭和天皇と呼称)がお亡くなりになり、翌1月8日から皇太子が新天皇に即位されました。同時に「平成」と元号が改められました。それから今年でちょうど30年ということになります。この平成の30年間というのは日本にとってどんな時代だったのでしょうか。

起点となった1989年は、世界にとっても日本にとっても大きな転換点、分岐点となった年といえると思います。
世界的にみるとこの年の11月にベルリンの壁が崩れ、12月に米ソ首脳(米国はジョージ・ブッシュ大統領、ソ連はミハイル・ゴルバチョフ最高会議議長・共産党書記長)が地中海のマルタ島沖に停泊したソ連船で会談し、冷戦終結を宣言しました。これによって米ソは軍拡競争に終止符を打ち、世界は市場経済システムのもとで統合されました。「平和の配当」を享受する時代に入ったのです。事実、世界経済は貿易を中心に順調に拡大し、2001年には中国がWTO(世界貿易機関)に加盟したことで成長が加速しました。

一方、日本にとって1989年はバブル経済の天井に突き当たった年でした。マルタ会談が行われ冷戦が終結した12月末の日経平均株価は38,915円の歴史的高値をつけましたが、これが天井でした。1990年の年明けとともに株価は下落に転じ、1年遅れで地価も下降過程に入りました。株価はその後、変動を繰り返し、現在は20,000円をわずかに上回る水準で推移しているという状況です。株価に象徴されるように、日本経済の30年は、世界経済のようにバラ色の夢に浸ることはありませんでした。前半はバブル崩壊の後遺症である銀行の不良債権問題に追われ、後半はデフレ経済に頭を押さえられ続けたのです。

経済同友会代表幹事の小林喜光さんは「平成の30年間は敗北の時代だった」と表現しています(例えば朝日新聞1月30日付インタビュー記事)。財界のオピニオン・リーダーの発言ですからやや驚いたのですが、半導体から自動車までほとんどのハイテク製品で日本が世界を制覇したとまで言われ、ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を著わしたことに象徴されるような華やかな1980年代を経験した世代(筆者もそうです)にしてみれば、そう言いたくなるのです。

この30年は、インターネットに代表される情報技術を中心に技術革新が急速に進展した時代ですが、小林さんも指摘しているように日本企業は完全に乗り遅れたといっていいでしょう。アメリカのGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)や中国のアリババなどが世界を席巻していて、日本企業の姿は影も形もみえないのです。
この間、日本国民の賃金はほとんど上がっていません。企業がすっかり元気をなくしてしまったのですから、当然ともいえるのですが、実は企業はそれなりに利益をあげているのです。問題は、利益が賃金に回っていないことなのです。財務省の法人企業統計によりますと、2017年度の企業の内部留保は過去最高だったということですが、企業が上げた付加価値のうちどれだけ賃金に回ったかを示す労働分配率は実に43年ぶりの低さだったということです。

政府はどうでしょうか。30年前は国や地方政府の財政はほとんど借金に頼ってはいませんでした。1990年には赤字国債の新規発行はゼロになっています。ところがいまや国と地方の長期債務残高はGDPの2倍にまで膨らんでいます。世界最悪の状況なのです。まさに「敗北の時代」だったのです。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。これからどう展望できるのでしょうか。次回で検討したいと思います。
(2019年1月31日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか