平成の30年間は、少なくとも経済の面では「失敗の時代」とも「敗北の時代」ともいえるでしょう。そのことは経済成長率に如実に表れています。
日本経済の成長率を年率平均でみますと、戦後復興期が終わった1955年から1970年までの「高度成長期」は名目で15%、実質で10%、2度の石油ショックを経験した1970年から85年までの「ポスト高度成長期」が名目10%、実質4%、85~90年のいわゆる「バブル経済期」がそれぞれ6%弱、5%弱です。
1970年代前半に日本国民の生活水準がヨーロッパ諸国並みになり、アメリカに次ぐ世界第2の経済大国となったあたりから、日本経済は成熟段階に入り、年を追って成長率は落ちていったことがわかります。ところがその後の落ち込みは極端でした。1990年を境にバブルがはじけ、株価、次いで地価が急落過程に入ったのですが、その後、現在に至るまでの平成の30年間は、大胆に言ってしまえば「ゼロ成長の時代」だったのです。この間の経済成長率を年率にならしてみますと、名目でも実質でも1%に届いていないのです。
なぜこんなことになってしまったのか。日本よりも早い段階で成熟期を迎えた欧米諸国でも、ならせば2~3%前後の実質成長を続けてきているのに、なぜ日本だけが極端な低成長に長期間、陥っているのでしょうか。バブル崩壊の後遺症が想像以上に大きかったということに尽きるのではないでしょうか。
その代表例は、メガバンクを中心にした不良債権問題でしょう。日本中がユーフォリア(浮かれ病)にとりつかれていたバブル時代に、土地投機目的の過剰融資に走った銀行が、地価暴落過程で莫大な不良債権(融資先企業の破たんなどで回収困難となった債権)を抱え、身動きが取れなくなってしまったのです。過剰な土地投機や株式投機で民間企業の多くも経営難に陥りました。不良債権の解消に各種の公的資金が投入され、政府主導のメガバンクの大統合を経て、ペイオフ凍結が解除されたのが2005年ですから、この問題の解決には15年かかったことになります。
ペイオフというのは、銀行が破たんした場合、預金者一人当たり、預金額の1,000万円とその利子を銀行が預金保険機構に積み立てている保険で保障することで、預金保険法に定められているのです。つまりこの法律は、銀行は普通の企業のようにつぶれる場合もあるということを前提にしているのです。ところが、戦後、銀行はつぶれないものと思われていましたし、現実に銀行を監督してきた大蔵省は、いわゆる護送船団行政で銀行をつぶさないように行政指導を徹底して行っていました。不良債権を抱えて銀行が救いようのない状況の陥っていても法律にしたがってペイオフを発動すれば、国民の銀行への信頼は一気に崩壊し経済は大混乱に陥る可能性があります。そこで1996年に預金保険法が改正され、ペイオフが凍結されていたのです。 問題はなぜ銀行の不良債権問題の解消に15年もの期間を費やさなければならなかったのか、ということです。一言でいえば「環境の変化に鈍感で、事態の深刻さに気が付くのが遅かった」ということだと思います。これに関連して筆者が実際にかかわったことを記しておきます。
株価、続いて地価が暴落を始め、バブル崩壊が明らかになりつつあった1992年6月に「生活大国5か年計画」が閣議決定されました。この政府の経済計画は、保守本流を象徴する内閣といわれた宮澤内閣(宮澤喜一首相)が、「日本は経済大国となったが、国民の生活が世界一流となったとは言えない。これからは地球社会と共存する生活大国とならなければならない」という首相の思いを標題に掲げた本格的な(そして最後の)経済計画でした。この計画作りは首相の諮問機関だった経済審議会で行われたのですが、当時、新聞社の論説委員になったばかりの筆者も委員として参加したのです。
筆者はマクロ経済を担当する部会でしたが、専門家による度重なる議論を経て計画期間(1992~96年度)の経済成長率(年率)を名目5%、実質3.5%と決めたのです。いまから思えば、バブル崩壊のマグマの大きさと経済環境の構造変化を過小評価した、まったくの失敗策といわざるをえません。閣議決定の2か月後に株価暴落の勢いに押されて軽井沢で休暇中だった宮澤首相が急遽上京し、経済対策閣僚会議を開き、戦後最大規模の総合経済対策を決定しました。しかし、事態はそんなことでは収まる状況ではなかったのです。経済成長率は93年度以降、ゼロ成長に落ち込んでしまったのです。反省とともに記しておきます。
(2019年3月4日記)
【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。
<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか