時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

政府がこのコロナ問題の対応に追われている渦中に、安倍内閣への国民の信任を揺るがしかねない「事件」が二つありました。

一つは、「森友事件」の公文書改ざん問題の再燃です。

森友問題というのは、大阪の森友学園が、国有地を異常に安い価格で払い下げを受けた事件です。結局、不当な価格での払い下げということになったのですが、その後の財務省調査で払い下げの経緯を記した公文書が改ざんされていたことがわかりました。安部首相や同夫人との関係が疑われるような箇所が削除されていたのです。

この調査の過程で、2018年3月、改ざんを行った財務省近畿財務局の担当職員が自殺しました。なんらかの上司の指示があった結果の改ざんだとみられていましたが、安倍首相も当時の佐川財務省理財局長も完全否定して幕がおろされました。

ところが、ことしの3月、自殺した担当職員の「上からの指示があった」ことを示す遺書が明らかにされたのです。これをもとに元担当職員の妻が政府に再調査を求めました。ところが安部首相も麻生財務大臣も「その必要はない」と一蹴しました。そこで夫人は国と当時の理財局長を相手取って損害賠償を求める訴えを起こしたのです。同時に真相解明のため第三者委員会による再調査を要求しています。

もう一つは、検察庁法改正問題です。検察庁法改正というのは、検察官の定年を現在の63歳から65歳(検事トップの検事総長は現在も65歳定年)に延長し、同時に63歳を超えた次席検事、検事長は内閣の判断で役職を延長できる、とするものです。

検事は国家公務員です。政府は現在60歳の国家公務員の定年を段階的に65歳に延長する国家公務員法改正案を検察庁法改正案と同時に審議することにしていましたから、これと合わせて検事の定年を延長するのは当然といえましょう。問題になったのは、内閣の判断で高級職の検事の役職を維持継続できるという点です。これでは、首相を中心にした内閣に都合のよい検察トップが生まれかねません。

この二つの"事件"は、国民の間に異例の反応を生み出しました。公文書改ざん問題では、妻の再調査の訴えに賛同する意見が、インターネットを通じて1カ月もしないうちに数十万も集まったというのです。一方、検察庁法改正問題では、有名な俳優や歌手など芸能人がSNSを通じて政府批判を積極的に行っています。こうした世論の後押しもあって検察庁法改正案は結局、取り下げられました。

周知のように、安倍政権は2012年12月に第2次安倍内閣として返り咲いて以来、在任期間が7年半を超える史上最長政権です。わたしは、安倍首相の経済政策、いわゆるアベノミクスはほぼ一貫して支持してきました。しかし、このところ、独善的、強権的な姿勢が目立ってきたように思います。上記の二つの“事件”はその象徴といっていいでしょう。

ここで「なぜこんなにも長く政権を維持できているのか」ということを考えてみる必要があります。一つの理由は、ほんの3カ月前までは戦後最長の景気拡大が続いたことです。人々の最大の関心は常に自分の生活だからです。しかし、もう一つ、別の理由も作用しているように思います。この点について、先日、日本経済新聞のコラムで、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシという16世紀のフランスの思索家の「自発的隷従論」を引用しながら書きましたので、簡単に紹介しておきます。

人々はなぜ権力者に従うのでしょうか。ボエシによりますと、人々は強制されて従うのではなく、自発的に従うのです。自分が得をするからです。まず数人が権力者の信頼を得る。この数人は権力者に尽くし、それによって自分たちは甘い汁を吸う。この数人のそれぞれが甘い汁を吸いたい人間を数人抱える。この連鎖が続いて圧制者の権力システムができあがる、というわけです。

安倍政権でこの仕組みが強力に機能するようになったのは、2014年に内閣人事局が発足し、審議官以上の高級官僚の人事が首相官邸主導で行われるようになったからです。これによって官僚の自発的隷従システムが完成したとみてよいでしょう。森友問題で取りざたされた"忖度"もここから発生するのです。わたしたち国民も、知らずしらず自発的隷従システムに組み込まれていたのではないか、問い直してみる必要がありそうです。

しかし、ボエシは、このシステムは簡単に壊れるといいます。「立ち向かう必要はない。国民が隷従に合意しなければよい」と。
今回の二つの“事件”に対する市民の異例ともいえる政府批判は、安倍政権にとって極めて重要な意味を持つのではないでしょうか。
(2020年5月26日記)


内田茂男常学校法人千葉学園理事長

【内田茂男 プロフィール】
1965年慶應義塾大学経済学部卒業。日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、2000年千葉商科大学教授就任。2011年より学校法人千葉学園常務理事(2019年5月まで)。千葉商科大学名誉教授。経済審議会、証券取引審議会、総合エネルギー調査会等の委員を歴任。趣味はコーラス。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか