日銀は3カ月ごとに資金循環統計を発表しています。これは各四半期で、日本全国にあるお金(資金)が経済主体(経済活動を行っている家計、金融機関、企業)の間でどのように動き、結果として期末にどこにどんなかたちで存在しているのかを示したものです。昨年末に公表された2020年9月末時点のデータが最新のものですが、久しぶりにこの統計をみてちょっと驚きました。家計が保有する金融資産が1,901兆円にのぼっているというのです。
おカネでみた日本経済の特徴は、政府は借金大国、家計は資産大国と表現できます。日本の家計の金融資産の大きさはアメリカに次いで世界2番目です。問題はその中身です。日本の家計に積みあがった金融資産の半分以上(54.4%)が現預金なのです。現在の定期預金金利は限りなくゼロに近いにもかかわらず、人々はせっせと銀行に預金しているのです。株式や投資信託など有価証券投資はわずか14.7%に過ぎません。ちなみにアメリカの家計はどうかというと、現・預金の比率はわずかに13.7%で44.8%が株式・投資信託に回っています(2020年3月末)。日本と逆です。標準的な経済学の考え方は「所得水準が高まるに伴って、家計の資産選択は預金などの安全資産から有価証券などのリスク資産に比重を移してゆく」というものです。日本の家計は経済学の常識をはずれた行動をとっているのです。しかも日本の家計の保守的な貯蓄行動は、長期にわたって変わっていないのです。
「金融ビッグバン」ということばを覚えている方もいると思います。いまからほぼ25年前、1996年11月に当時の橋本龍太郎首相が大蔵、法務の両大臣に検討を諮問したことから始まった日本の金融制度の大改革のことで、現在の金融・証券制度は、この金融ビッグバンを基盤に作られたシステムなのです。筆者も証券取引審議会の委員として議論に参加しましたので若干の思い入れがあります。
「我が国金融システムの改革—2001年東京市場の再生に向けて」と題する橋本首相の諮問の骨子はつぎのようなものでした。
「優れた金融システムは経済の基礎をなす。21世紀の高齢化社会において、我が国が活力を保っていくためには、国民の資産がより有利に運用される場が必要であるとともに、次代を担う成長産業への資金供給が大事である。このためには、1,200兆円もの個人貯蓄を十分に活用していくことが不可欠である」
バブル崩壊後の経済の長期停滞に苦しみ、銀行の不良債権問題が重くのしかかっていた当時、大蔵省統制とまでいわれたがんじがらめの金融行政を「規制の少ない自由でフェアな金融市場へ」をスローガンに抜本的に改革し、豊富な家計の資金を有価証券市場を通じて成長企業に振り向け、経済を活性化させようという切実な政策意図が見事に表現されているように思います。
それでは当時の1,200兆円(1996年末)の家計資産がどのように構成されていたのかをみてみましょう。驚くなかれ、四半世紀も経過した現在とほとんど全く変わらないのです。現預金が53.4%、有価証券が11.6%です。この間、ビッグバンによって株式投資の手数料が自由化され、免許制だった証券業が登録制となり証券会社の設立が自由化されました。オンライン証券なども登場していまや、証券投資の手数料は自由化前とは比較にならないほど下がっています。投資信託の商品内容も運用姿勢も劇的に改善されています。また小泉政権時代の2003年から「貯蓄から投資へ」が重要な政策目標として掲げられています。にもかかわらず、日本の家計の資産形成に対する考え方は、先進国では例のない「リスク回避型」に徹しているのです。
リスクを回避する姿勢は、企業も同様です。資金循環統計によりますと、2020年9月末現在の企業(金融機関除く)の金融資産は過去最高の1,215兆円で、このうち現預金は309兆円に達しています。企業もリスクをとって将来の成長に向けて投資するという姿勢に欠けるのです。経済成長の源泉である企業経営者のアニマル・スピリッツはどこに行ったのでしょうか。これでは日本の成長力が高まるはずがありません。紙数が尽きました。今回は問題提起に終わりましたが、この原因および展望については、後日、考えてみたいと思います。
(2021年2月26日記)
【内田茂男 プロフィール】
1965年慶應義塾大学経済学部卒業。日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、2000年千葉商科大学教授就任。2011年より学校法人千葉学園常務理事(2019年5月まで)。千葉商科大学名誉教授。経済審議会、証券取引審議会、総合エネルギー調査会等の委員を歴任。趣味はコーラス。
<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか