時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

コロナ後の経済はどんな姿になるのでしょうか。7月から8月にかけてMIRAI Timesで、AI(人工知能)とデジタル経済化の急進展によって多くの職種が機械に取って代わられ、労働市場が大きく変わる、と書きました。本欄では、改めてデジタル経済化が経済成長とどう関係するのか、考えてみたいと思います。私たちの生活が便利になることは間違いないと思われますが、果たして生活を豊かにしてくれるのでしょうか。

デジタル経済化は、1990年代にパソコンの指数関数的な技術進歩と普及—IT(情報技術)革新によって、アメリカを中心に進展しました。「コンピューターは普及したが、生産性統計にはなにも変化がない」。当時、経済成長論の大家でノーベル経済学賞受賞者のロバート・ソロー教授がこのような趣旨の発言をしたのを覚えています。パソコンを導入しても組織として十分に使いこなせるようになるまでには時間がかかるのではないか、などと言われていました。

マイクロソフト社がパソコン向けの普及型OS(オペレーティングシステム)のWindows95を発売した1995年を「インターネット元年」といいますが、この段階でもまだ、IT化の経済的効果については懐疑的な見方が多数派だったように思います。1999年の大統領経済報告は「アメリカ経済の潜在成長率が上昇したという証拠は見つからない」と結論づけています。

ところが、クリントン大統領の最後の報告書となった2001年の大統領経済報告では、「アメリカ経済にニューエコノミーが到来している」と高らかに宣言しています。評価が完全に変わったのです。IT化によって生産性が上昇していることが多くの指標で確認されるようになったのです。1995~2000年のアメリカの生産性上昇率(年率)はそれ以前の2倍を記録したのです。こうして低インフレ率と低失業率の共存(失業率が低く景気はよいのに物価は安定している)、財政赤字の解消といった過去にはないパフォーマンスのよい経済状態が実現したというわけです。これを「ニューエコノミー」と表現しました。

さてAIが急速に進歩し、情報通信革命が進展している現在、かつてアメリカでいわれたようなハッピーなニューエコノミーがやってくるのでしょうか。そのような状況が生まれるためには次のような条件が満たされていなければなりません。

デジタル経済のもとではデジタル技術の活用に適合した企業や組織の生産性は急速に上昇します。アマゾンやグーグル、マイクロソフトなどがコロナ禍でも利益を大幅に伸ばしていることは周知の通りです。しかし、国民全体の生産性(国民1人当たり実質GDPで表せる)は上がっているとはいえません。日本の状況で説明するとわかりやすいと思います。

退陣した安倍前首相は、政権誕生後7年間(2013年~2019年)で就業者数が400万人以上増えたことをアベノミクスの大きな成果としてあげました。実際は440万人増えました。増加率は7.1%になります。それでは国民は豊かになったのでしょうか。この間、就業者1人当たりの実質GDPは6.8%の増加にとどまっています。つまり、働く人は増えましたが、働く人1人当たりの生産高は増えていません。むしろわずかながら減ったのです。これでは賃金は上がるはずがありません。IT関連の企業の生産性は、間違いなく上がっているはずですが、雇用増加の多くは、生産性の上がりにくいサービス関連産業が担っているのです。

アメリカでは1970年代後半以降、40年間の平均収入の増加分のすべては上位1%の富裕層に流れ、下位90%の人々の収入は増えていません。少数の富裕層がますます豊かになり、いわゆる中間層は没落してしまったといわれます。IT化、ロボット化が知識階級や富裕層を豊かにし、大部分の労働者は契約かパートの低賃金労働者に追いやられたという、分析もあります。

以上のようにデジタル技術革新は必然的に進みますが、それによって国民全体が潤うとは必ずしも言えない、というのが本当のところでしょう。日本でも所得格差に拍車がかかる可能性があります。労働者の再教育・生涯教育システムの構築および所得再分配政策の強化が不可欠だと思います。菅新政権の最重要テーマといえましょう。
(2020年9月28日記)


内田茂男常学校法人千葉学園理事長

【内田茂男 プロフィール】
1965年慶應義塾大学経済学部卒業。日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、2000年千葉商科大学教授就任。2011年より学校法人千葉学園常務理事(2019年5月まで)。千葉商科大学名誉教授。経済審議会、証券取引審議会、総合エネルギー調査会等の委員を歴任。趣味はコーラス。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか