教員コラム

政治・経済・IT・国際・環境などさまざまなジャンルの中から、社会の話題や関心の高いトピックについて教員たちがわかりやすく解説します。

教育

オーストラリアで、色々な国の人達の交じったいわゆる多国籍グループに日本語を教えていた時、こんなことがありました。「向こうから犬が来ました」というごくありふれた文で「犬」という言葉が出てきた時、フランス人の生徒から、「それはオス犬ですか、メス犬ですか」と聞かれたのです。「いや、オスかメスかはわかりません。というかどっちでもいいんです。関係ありません。ただの犬です」と答えると、「だってオス犬かメス犬かどっちかでしょう」と食い下がられました。フランス語では、オス犬はle chien、メス犬はla chienneです。オス犬かメス犬かがわからなければ「向こうから犬が来ました」という簡単なことも言えないのがフランス語という言語なのだと改めて実感しました。

英語でも同じようなことがあります。中学の時、牛はcowと習ったと思いますが、実はcowはメス牛で、オス牛はbullです。古くから牧畜が盛んだっただけに、英語では牛にはこの他にもcattle(cows and bullsの総称)、calf(子牛)、steer または bullock(オスの子牛)、ox(去勢牛)、livestock(家畜)など色々な呼び名があるので興味のある人は調べてみてください。一方、日本は牧畜の歴史は浅いですが、漁業の歴史は長いので、魚の名前は日本語の方が格段に多く、発達に応じて呼び名が変わる「出世魚」もあります。言葉は、その国の生業と深く関わって発達してきたことが分かります。

さて、フランス語でも英語でも、男性か女性かが一番の基本情報です。日本語で「向こうから高橋さんが来ました」という時の「高橋さん」は男性、女性どちらの可能性もありますが、フランス語や英語にはこの便利な「~さん」という接尾語がありません。英語では、男性ならMr. Takahashi、女性ならMrs. Takahashi か Miss Takahashi、または最近ではMrs. とMiss どちらにも使えるMs. Takahashiを使います。つまり向こうから来るのが男性なのか女性なのかがわからないと「向こうから高橋さんが来ました」と言えないのです。

男性か女性か、オスかメスかが、このように重要な言語に比べて、日本語はどうでしょう。日本語では人や動物の性別をそれほど重要視しません。そんなことがわからなくても一向に会話に差し支えません。

では日本語で重要な情報は何でしょう。「長幼の序」、つまり年上か年下かということです。例えば、日本語では「兄」、「弟」と区別しているのに英語ではどちらもbrother、「姉」、「妹」はどちらもsisterです。 My brother lives in Brazil. と言う時、「兄はブラジルに住んでいます」なのか「弟はブラジルに住んでいます」なのか、年上か年下かが分からないと日本語ではMy brother lives in Brazil.と言えないのです。英語やフランス語を母国語にする人にそう言うと、「日本語ってめんどうくさいなあ」と思われるかもしれません。つまりこだわっているところが違うのです。

英語を勉強していると、「なぜそんなものがあるの?」「どうしてそんなことが大事なの?」「めんどうくさいなあ」と思うことがたくさんあるでしょう。例えば日本語にはないa, an, theなどの冠詞、日本語では気にしない単数、複数の区別、数えられる名詞、数えられない名詞という考え方、人称によって変わる動詞の活用などです。そういう時、日本語の物差しで「めんどうくさい」と決めつけないで、英語はどうしてそういう考え方をするんだろう、その背景にはどういう歴史や文化があるんだろうと考えてみましょう。

英語はなぜ数えられる、数えられないという区別をするのでしょう。英語は形あるものの数にこだわる言語だと言えます。This is a car. (これは車です)車はたくさんの部品から出来ていますが、それらたくさんの部品が「車」の形になった時、初めてa carと言えます。事故にあってばらばらになってしまった部品の一つを取って「車」とは言わないでしょう。これがいわゆる「数えられる名詞」の考え方です。「机の上に本があります」日本語では普通の文ですが、この文を読んだ時、みなさんはどんな状態を頭に浮かべますか?本は1冊ですか?それとも何冊もあるのでしょうか?そんなことは気になりませんか。英語を母国語にする人にはそれが重要な情報なのです。「机の上に本があります」1冊なら、There is a book on the desk. 2冊以上なら、There are books on the desk. どちらかわからないと英語にできません。2冊以上ならbookに複数を示すsをつけ、動詞の形も変え、色々な方法で本が2冊以上あることを知らせます。形あるものの数にこだわる言語ならではのこだわりです。

これに対して、それ自身では形が無いものがいわゆる「数えられない名詞」です。水(water)をこぼして床に飛び散っても「水」は「水」です。水の容器によって a glass of water, a bottle of waterと容器を数えます。物質名詞と呼ばれるものはみな「数えられない名詞」です。

ここでよく聞かれるのが、「パンやお金は数えられるのに、どうしてbread やmoneyは数えられない名詞なんですか」という疑問です。答えは、パンは、ちぎってどんな小さなかけらになってもパンはパンだからです。お金は数えているように思っていますが、実はお金を数えているのではなく、紙幣(bills)や硬貨(coins)を数えているのです。

coffee、teaなどもwater同様、数えられない名詞で、長年a cup of coffeeと言わなくてはいけないとされてきましたが、この頃変わってきています。Starbucksスタバなどでは、“two coffees”と注文するのが普通になってきました。「数えられない」とされていたものが、「数えられる」ものに変化しているのです。まさに「言葉は生き物」で、時代とともに変わっていくことを表しています。文法を「覚えなくてはならない規則」と考えず、言語の違う人達の考え方を理解する手段ととらえると、英語の勉強が面白くなること請け合いです。

政策情報学部で、使える英語を学び、コミュニケーション力を高めましょう。

Come to CUC and learn to use English as a means of communication !

解説者紹介

高橋 百合子