教員コラム

政治・経済・IT・国際・環境などさまざまなジャンルの中から、社会の話題や関心の高いトピックについて教員たちがわかりやすく解説します。

国際

今年、国民的人気グループの“嵐”により、“Japonism”というタイトルのアルバムが発売されました。「日本の素晴らしさ」を表現したこのアルバムは、発売初週で82万枚以上を売り上げる大ヒットを記録しています。

このアルバムのタイトル“Japonism”とは、一体どういう意味なのでしょうか? “ジャポニズム—フランス語ではjaponisme(ジャポニスム)と表記します—”とは、「19世紀後半のヨーロッパ美術にみられる日本趣味」のことを表す用語です。今から約150年前のヨーロッパの人々によって、アジアの一国“日本”は今よりも遥か遠い国でした。当時ヨーロッパとは異なる文化・風情・習慣などを持つ日本は、まさに“エキゾチック”を感じる対象そのものであり、“あこがれ”でした。これに関連した言葉として、ヨーロッパでは外国への憧れを示す、“エキゾチシズム”という単語があります。日本語では「異国情緒」と訳されるこのワードは、異国が持つ風物や情緒を基に文学や芸術作品などの創作的活動を展開させていくことを示しました。”ジャポニスム”という言葉は、まさに19世紀後半のヨーロッパの人々が、遠い国“日本”に抱いた、“あこがれ”をアートなどの形で表現したいという思いの表れであり、また当時のヨーロッパ社会の流行そのものであったといえます。

では、この日本に対する“あこがれ”は、何がきっかけでヨーロッパに芽生え広まっていったのでしょうか? “日本ブーム”の引き金となったのが「万国博覧会」でした。「万博」・「エキスポ」などといった名称でも親しまれているこの「万国博覧会」は、正式名称を「国際博覧会」といいます。「国際博覧会条約」という国際的な取り決めにより、「博覧会事務局(BIE)」という機関により正式に認定・登録されたイベントです。「国際博覧会条約」の加盟国および加盟国が認めた団体が参加します。その主たる開催目的は「公衆の教育」であり、新しい文化の創造や科学・産業技術の進歩・発展・将来への展望などを示す場です。

この「万国博覧会」が開催されるようになった頃、イギリスは他国に先駆けて「産業革命」を達成していました。「産業革命」とは、端的に述べると、「大きな工場で機械を用いた生産を行うことが可能になり、従業員が雇用者から給与をもらい生活をするというライフスタイルがより広く普及していくこと」などを言います。「産業革命」は18世紀後半にイギリスで初めておきました。イギリスは新しい技術を用い工場で機械を多用した生産を行うことで、従来よりも大量の生産を一気におこなうことが可能になったのです。そしてこのダイナミックな生産方法によりつくられた「工業製品」は、国内だけでなく海外にもたくさん販売されていき、経済の規模は拡大していったのです。つまり、それまでの社会にはない斬新な”ものづくり”を行うことができるようになっていたのでした。これを可能にしたのが、発明・改良によって生み出されたイノベーション(技術革新)でした。そしてフランス・ドイツ・ベルギーなどのヨーロッパの国々は、この世界初の「イギリス産業革命」を模倣し、経済力・技術力で他国に負けまいと切磋琢磨を繰り返し返していたのです。つまり、「イギリス産業革命」によって、世界の”ものづくり”は大きく変化していったのでした。

この様子は当時の「万国博覧会」の至るところに見て取れました。例えば、「第1回ロンドン万国博覧会(1851年)」の会場となった「クリスタル・パレス(水晶宮)」は、当時最先端の技術を使い、主に鋳鉄とガラスでつくられた、材料も技術も共に先駆的な近代建築でした。そしてイギリスは、伝統的な方法でつくられた“ハンド・メイド”の品のみならず、新技術を使い機械で生産された「工業製品」を多数出品していたのです。この“新技術が多用された品“は来場者をとても驚かせました。そしてこの「第1回ロンドン万国博覧会」は、「産業革命」を達成したイギリスの“工業力”を他国にアピールするのみならず、ドイツなど経済面でイギリスに追随していた国々にとっても、イギリスの最新技術をヒントにしたイノベーションの成果といったものを世界に向けてアピールする場となったのでした。「万国博覧会」とは、「産業革命」によって生み出された新しい未来の姿を描きだし、来るべき「20世紀の工業化社会」を予感させるものとなったのです。

ところで、この「万国博覧会」には、ヨーロッパの国々に混ざり、日本も参加していました。「第1回ロンドン万国博覧会」では、日本の品は、中国の品に交じって、僅かながら展示されるに留まっていました。しかしその11年後に開催された「第2回ロンドン万国博覧会(1862年)」で、事態は大きく変化します。この「第2回ロンドン万国博覧会」では、日本を紹介する独自のブースが設けられ、日本の陶磁器、漆器、刀、コマなどの玩具といった品々計623点が展示されることになりました。その中には、「習字の練習紙片」や「江戸の地図」など当時の日本国内では身近な存在の品が含まれていました。これらの品は、初代駐日イギリス公使のラザフォード・オールコック卿(Sir Rutherford Alcock) が日本で収集したものであったとされています。この「第2回ロンドン万国博覧会」での日本の品は、多くのヨーロッパの人々の間で大好評を博しました。それは当時のイギリスの新聞に「このような品をつくった日本人の技と勤勉さを賞賛する」という記事が書かれるほどでした。そして、その5年後に開催された「第2回パリ万国博覧会(1867年)」では、日本自らが出品することになりました。当時日本は江戸時代であり、「江戸幕府」・「薩摩藩」・「佐賀藩」がそれぞれ個別に出品をしました。和紙、衣服、ガラス器、歌川国貞らの浮世絵師の肉筆画などが展示され、「ヨーロッパ社会に嵐を巻き起こした」と後に言われるほどヨーロッパの人々の心に大きなインパクトを与える展示となりました。

これら「万国博覧会」での出品は、古くから日本で培われていた技能をもとにつくられた日本オリジナルの商品です。そして、これらの品は、当時のヨーロッパの人々の心に“ジャポニスム”を芽生えさせる大きなきっかけとなったのです。こうして、日本文化はヨーロッパに広まっていったのでした。

そしてこの”ヨーロッパの人々のあこがれの国”日本にも、「産業革命」の波がやってくることになります。このような世界風潮のなかで、日本は他国に経済力で劣らぬよう、「工業製品」を多数生み出していたヨーロッパ・アメリカを模倣し、憲法・政治システム・税制度などさまざまな社会のしくみを変革していきました。そして江戸時代とは異なる明治という時代が到来したのです。そして殖産興業政策の下、「富岡製糸場」などが建設されていき、日本は国を挙げて「工業化」を進めていきました。いわゆる「近代日本」の幕開けです。そして、他のアジア諸国にさきがけて日本は「工業化社会」へと成長することとなりました。

以上のように、「万国博覧会」はまさに世界経済のエポックを画するものとして存在してきました。

今年、イタリア・ミラノにおいて「地球に食料を、生命にエネルギーを」をテーマに「2015年ミラノ国際博覧会」が開催されました。「2015年ミラノ国際博覧会」の「日本館」の展示は、日本の食・食文化や「クールジャパン」を紹介するものでした。アニメや漫画のように “カッコイイもの”として世界でブームになっている“日本食”を、世界に向けてさらに発信していったのです。つまり日本の“食”が見直され再認識されることとなったのでした。これは新たな“ジャポニスム”の到来を予感させる出来事であったと思われます。

【参考文献】

  • 奥西孝至・鴋澤歩・堀田隆司・山本千映『西洋経済史』有斐閣, 2010年
  • 小野文子『美の交流—イギリスのジャポニスム—』技報堂出版, 2008年
  • 重富公生『産業のパクス・ブリタニカ—1851年ロンドン万国博覧会の世界—』勁草書房, 2011年
  • 鈴木良隆・大東英祐・武田晴人『ビジネスの歴史』有斐閣, 2004年
  • 東田雅博『シノワズリーか、ジャポニスムか—西洋世界に与えた衝撃』中央公論新社, 2015年

解説者紹介

大賀 紀代子