教員コラム

政治・経済・IT・国際・環境などさまざまなジャンルの中から、社会の話題や関心の高いトピックについて教員たちがわかりやすく解説します。

IT・デザイン

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ブラジルのリオデジャネイロで開催されたオリンピックは、次回が東京開催であるため、日本での報道に熱がこもっていました。競技や現地の状況は、各種メディアを通して伝えられました。
近年の情報通信技術の発達、とくにインターネットや携帯端末の普及を念頭に置いて、今回のオリンピックを振り返ってみます。

メディアのつくる擬似環境

「擬似環境」(注1)ということばがメディア・コミュニケーションの領域で使われます。たとえば、スポーツ実況中継は、現場の出来事を伝えてはいるけれども、送り手(他人)とメディアをはさんで、あくまで受け手が頭の中で構成したイメージであり、実際の場面と同じではない、という意味です。擬似環境という特性は、メディアが発達すればするほど生活の中で比重が大きくなり、そして避けられない制約条件であると共に、様々な技術を使って実際以上の光景を作り出すという発展性も持っています。リオ五輪の場合、情報通信技術の高さに裏付けられ、遠隔地間通信にありがちな画像の乱れや音声とのずれは感じられず、自然な臨場感と付帯機能が加わって、情報処理能力の向上を実感できました。
情報処理は内容の変換という視点から、時間、空間、担体、記号、意味変換の5つに区分できます(注2)。「時間変換」は、流れていく時間に制約されずに好きなときに呼び出せることで、今回は公式映像のオンデマンド放送として活用されました。「空間変換」は、ブラジルという遠隔地での出来事が、メディアを介して目の当たりにできたことです。そして「担体変換」によって、情報はとり扱い易い手段に置き換えられ、手軽なスマートホンにおさめて競技を閲覧できました。これら三つは情報技術としてすでに普段の生活に浸透しており、オリンピックの報道でも便利さを実感できました。後の二つ、「記号変換」、「意味変換」は複製技術、自動翻訳、人工知能などの分野と関係しますので、現在発展途上にあります。もし、ハイビジョンを遙かにしのぐ超高精細映像(8K)で中継がおこなわれたとしたら、高次の記号変換の恩恵にあずかるわけですが、その実現は次の東京オリンピック時となるでしょう。


  1. (注1)W.リップマン『世論』掛川トミ子訳、岩波書店、1987年。原書は1922年刊行。
  2. (注2)吉田民人の分類による。吉田民人『自己組織性の情報科学』新曜社、1990年

必要な情報は自分からさがす

情報処理の技術向上は、情報量の増大と繋がります。オリンピック報道で多くのメディアが連日長い時間をさいて現地の結果を伝えていましたが、私たちの様々な関心に応じた情報が豊富であったのか、という点については慎重に判断する必要があります。たとえば、陸上男子400メートルリレー決勝で日本チームが2着となり、3着のアメリカチームがなぜ失格したかの理由は、日本の主要メディアで、すぐには触れられていませんでした。国際陸連のホームページを注意深く閲覧し、バトン受け渡しゾーンの手前で受け取ったため、ルール170.7に違反したという記述を読み、ようやく納得できました。
インターネット社会では「必要な情報は自分から集めに行くこと」が求められます。既存の主なメディアから流れてくる情報は、いずれも日本選手の活躍への賞賛の声であふれていましたが、心理的な満足は得られても、行き交う情報の量(賑わい)に比べて内容(新らしい事実関係)は薄いように思われました。リレーの報道に限らず、情報の多様性についての課題は依然として残されています。

ソーシャルメディアは情報刺激のやりとり

テニスの3位決定戦、錦織選手の休憩時間を巡って海外で大きな話題となったという記事が、ニフティニュースに載っていました。要点は次のようです。
『錦織選手のトイレットブレーク、コートを去って戻ってくるまでに12分もかかったため、錦織選手のTwitterアカウントには、対戦相手ナダル選手のファンと思われる海外のユーザーから、厳しい批判のツイートが多数送られた。その後の記者会見で、試合をしていたコートからやや離れたセンターコートの着替え室に案内されたため、という事情が明らかとなる。「トイレットブレーク戦術」はテニスにおいては主流で、国際テニス連盟のルールでは、時間について「reasonable time(適当だと思われる時間)」とだけ記されており、ルール違反ではない。しかしながら、錦織選手がコートに戻ってきた時、会場は割れんばかりのブーイングだった。完全アウェイの空気の中で、ファイナルセットは錦織選手に軍配が上がった』(注3)。 この記事にはソーシャルメディアの特徴がよく表れています。それは、事実を検証する情報ではなく、事実が起こってからの評価情報が増加することです。知らないこと、不明確な対象についてふれる情報(認知)は少なく、事実が起こって事態がはっきりした後の情報(評価)が増える傾向にあります。そのため、《刺激と反応》という対比でいえば、反応に属する内容が多く、またそれが相手への刺激の役を果たして、場面を沸騰させます。短いことば、あえていえば短絡的表現が多く使われるのは、こうした理由です。


  1. (注3)@niftyニュース、8月22日、和久井香菜子氏の記述から抜粋

グローバル化の現実

さいごに、商業化との関連で一つの出来事をあげておきます。『卓球男子の日本代表が1回戦を午後7時(現地時間)頃終え宿舎へ戻った。ところが、直後にサイト上で次の試合開始が、翌日午後3時の予定だったものが午前10時に変更され、倉嶋洋介監督は、それを認めるサインを求められた。国際卓球連盟から「テレビ局が変更を求めてきた」と説明され、同監督が日本のテレビ各局に確認を求めたが、全局がそうした事実を否定した。「1時間半くらい泣きながら抗議し」結局、当初の予定通り午後3時の開始となった。』(注4)
スポンサーの意向を重視する意識が、大会主催者側に垣間見られます。スポーツ大会はビジネスに限らず色々な要素を含んで成り立っており、オリンピックはそれらの世界という単位での集大成です。グローバルな場面でのふるまい方を実際に学ぶまたとない機会としてとらえると、その成果がこれからどのように表れてくるのか、興味は尽きません。


  1. (注4)朝日新聞デジタル版(2016年8月15日、8時31分)の記事を要約

解説者紹介

教授 犬塚 先