今日の高度産業社会は、私たちの環境を確実に破壊し、地球環境問題をますます深刻化させています。地球温暖化、異常気象、オゾン層の破壊、絶滅危惧種の増加、水質汚染、砂漠化等のさまざまな地球環境問題は、自然環境のみならず、私たちの生活環境を脅かしているのです。
後退する米国の地球環境問題対策
米国ではトランプ新大統領の誕生により、地球環境問題への政策的対応が大きく後退しようとしています。トランプ大統領は、オバマ前大統領が導入を進めてきた地球温暖化対策、すなわち、発電所からの二酸化炭素の排出を減らす「クリーンパワー計画」規制を撤廃することで、米国のエネルギ-産業分野の雇用を創出していくという経済政策を打ち出しました。米国内の化石燃料、とりわけ、石炭産業の復活を目的としたこの政策は、二酸化炭素の排出を減らすどころか、再び増加させるものとして地球環境の破壊を進行させつつあり、地球環境問題の解決に大きな遅れをとると考えられています。
また、昨年11月30日から12月13日の間、パリで行われた第21回国連気候変動枠組条約国会議(COP21)における各国の討議を振り返ってみても、先進国と途上国との間には、今後の二酸化炭素の削減目標や排出権取引等の量的規制に関して厳しいやりとりがあったことも思い出されます。
こうした状況をみるにつけ、20世紀初頭の米国で起きた自然環境をめぐる環境思想の対立、「ヘッチヘッチ論争」を想起せざるをえません。「自然環境保存派」と「自然環境保全派」の価値観の相違が環境政策の形成に大きな影響を与えてきたことを私たちは深く認識しておく必要があり、そして、トランプ大統領の経済成長優先政策はこうしたことを示す証左なのです。
ヘッチヘッチ論争とは
1908年、米国・サンフランシスコ郊外のヘッチヘッチ渓谷に、サンフランシスコ住民への水供給を目的としたダムの建設計画が連邦政府に申請されました。これを機に、ヘッチヘッチ渓谷の自然環境の保存を主張する自然環境保護運動家のジョン・ミューア(シエラ・クラブの創設者)と、自然環境を全く破壊しなければ自然環境の賢明なる使用を認めてもよいとした、功利主義的な自然観をもつ連邦政府の林野庁長官ギフォード・ピンショーの意見が対立。人間文明と自然環境をめぐる激しい論争を社会的に喚起したばかりでなく、3人の米国大統領(セオドア・ローズベルト、ウィリアム・タフト、ウッドロー・ウィルソン)を巻き込む社会的議論の争点となりました。これが「ヘッチヘッチ論争」です。
言い換えれば、この論争は、自然環境は人間にとって倫理的・美的対象であり、自然環境を保存することが自然環境保護につながるという「自然環境保存思想」(Preservation)と、当時の経済開発型の革新主義思想(Progressivism)を基盤とした自然環境の功利主義的な利用は、自然環境を全く破壊しない範囲で許されるとする「自然環境保全思想」(Conservation)の環境思想をめぐる対立でした。
これは近代産業社会の萌芽期の話ですが、このような環境思想の対立は現代にも見られます。1999年の京都議定書の批准問題から、世界の平均気温上昇を2度未満に抑制する目標に向け、温室効果ガス排出規制を盛り込んだ昨年の「パリ協定」にいたる先進国と途上国の激しい議論が象徴するように、現代社会が内包する経済成長と環境保護をめぐる基本的課題には、「ヘッチヘッチ論争」の環境思想的対立が引き継がれているように思われてなりません。
人間文明と自然環境の共存を
つまり、現在の産業社会における「生産-消費-廃棄」システムを維持したまま環境問題への技術的対応で問題解決を図ろうとする「エコロジー的近代化論派」(Environmentalism)と、こうした産業社会システムを根本的に変革し、地球の生態系に対応した新しい環境社会を社会制度として形成すべきだとする「環境政治思想論派」(Ecologism)の現代環境思想をめぐる対立が、気候変動問題をはじめとするさまざまな現代環境問題に表出しているといっても過言ではないのです。
このように、これまで人間が築いてきた「物質主義文明」(Materialized Civilization)と、こうした文明を拒否し、自然環境における生態系と人間の文明との有機的な結合を図ろうとする「脱物質主義文明」(Postmaterialized Civilizeation)をめぐる、<産業主義思想(Industrialism)>と<環境主義思想(Environmentalism)>の対立の構図こそが、今日の環境問題となっています。その意味で、20世紀初頭の「ヘッチヘッチ論争」は、近代産業社会と自然環境との関係を人間がどのように捉え、自然環境と人間文明がどのように共存していくかという永遠の命題を私たちに提起したと言えるでしょう。
今日の環境問題は、地球環境問題として人間文明全体の課題に変容し、この深刻な問題を解決しなければ、人間も自然環境も存亡の危機に晒されている現状があります。私たちが生活の起点としている「現代産業社会」と、破壊を阻止しなければならない「環境」(自然環境・人間環境も含む)との関係を、現在の社会制度(政治制度・経済制度等)の枠組みのなかでどのように変えていくか、ということを最優先の課題として取り組まなければなりません。
つまり、20世紀初頭の「ヘッチヘッチ論争」が提起した、人間文明と自然環境における<人間中心主義的な関係(Anthropocentrism)>を、今こそ再検討すべきではないでしょうか。人間と自然環境が共存し、生態学的に持続可能な社会である<緑の社会(Green Society)>の構築に向けた制度変革の方策を、現実の政策として検討しなければいけない時期を迎えていると考えています。
【主要参考文献】
- 1)松野 弘(2014)『現代環境思想論』ミネルヴァ書房
- 2)R.F.Nash=松野 弘監訳(2015)『原生自然とアメリカ人の精神』ミネルヴァ書房
- 3)R.F.Nash=松野 弘監訳(2004)『アメリカの環境主義』同友館
- 4)R.Eckersley=松野 弘監訳(2010)『緑の国家』岩波書店