教員コラム

政治・経済・IT・国際・環境などさまざまなジャンルの中から、社会の話題や関心の高いトピックについて教員たちがわかりやすく解説します。

教育

できます! もっとすべきです! その理由は…

結論を先にいうと、若者のまちづくりへの参加は可能であり、若者の参加はさらに積極的におこなわれるべきだ、というのが私の考えです。
この理由として、

  1. まちづくりは身近で楽しいことからはじめることができる
  2. 若い時期の体験は心の中心に残り、人生全体に影響をあたえる
  3. まちづくりは、年齢・性別・職業・国籍にかかわらず、あらゆる人々に長期にわたって影響を与えるもので、まちづくりに、より多様な人々のニーズと能力が反映されるべきであり、そのためのプロセスが必要である
  4. まちづくりには、技術・資金・法制・環境・政策評価など多くの「専門知識」が必要とされるが、この専門知識と現実にまちに生きる人々の「市民感覚」を擦り合わせたとき始めて、両者は生きてくるのであり、若者はこの「擦り合わせ」を有効におこなう高いポテンシャルを持つと考えられる

などをあげることができます。

まちづくりとは?

以下では、若者のまちづくりへの参加についてこのように考える根拠をいくつかの事例とともに説明しようと思うのですが、その前に「まちづくりとは何か?」を議論しましょう。20世紀の最も著名な歴史家、文明批評家のひとりであるルイス・マンフォードは、「都市とは意義ある会話に最大の便宜をあたえる場である」と述べています。ここで「会話」は言葉の交換に限定されず、ひろく「人と人の関わり」を意味しています。偶然に人と出会うということが殆どない筑波研究学園都市に住んだ経験、そして、人口4万人の岐阜県の小さな都市の駅前の商店街の人々の中で育ったという生い立ちから、私は、都市を「人と人との関わりを育む器」と考えるようになっていて、マンフォードの言葉に深くうなずきました。

身近で楽しいまちづくり

都市をこのように考えると、「まちづくり」とは、「人と人の関わりを育てる」ことです。静岡県知事の川勝平太さんは、若い頃、ロンドンの街角でバイオリンを買い、その場でどうしても弾いてみたくなり、路上で演奏し、そこに人が集まってきたというエピソードを雑誌で読んだことがあります。川勝さんがしたことは、自分が好きなことに熱中しながら、同時に他の人を楽しませるという身近なまちづくりです。
私ごとですが、最近、わが家の近くに広い都市計画道路が開通し、杖をついた高齢者が青信号で道路を渡りきれないのを見ました。私は、車に手をあげて止まってもらい、その高齢の方と横断歩道を渡り、お礼を言われました。これらは、楽しく、身近なまちづくりの例(上記1.)です。
みなさんも、まちを歩きながら、自転車を走らせながら、自分ができるまちづくりを考えてみてください。

若い時期の体験

私は日本の高度経済成長がピークにあった1960年代後半に大学の4年間を過ごし、公害問題などを背景に、都市の勉強を始めましたが、決定的だったのは、卒業後、大学院進学の前の時期に、私の故郷でまちづくり提案活動をしたことでした。帰省した私は、駅前商店街の道路拡幅計画にともなう商店の協同ビル建設の経済負担に耐えられない商店主から自殺者が出たと母から聞きました。全国一律の都市計画制度を小都市に適用すること、道路整備を中心としたまちづくりを推進する、異論を許さない商店街の風土などを、私は深刻に受け止めました。私は、北海道・旭川市の「買物公園」の実験が国道の車と止めて実現したことをテレビ番組で知っていて、「あるくまち」の提案を一晩で考え、それをパンフレットにして、ご近所をまわり始めました。
東京に戻った私は、友人たちにこのことを話し、5人のメンバーで私の故郷を訪ね、商店を一軒一軒まわり、提案を説明し、市役所も訪問しました。私たちの提案は受け入れられず、道路拡幅は進んでしまったのですが、「地域にふさわしく、道路を中心としないまちづくりを」という当時の考えは、今の私の都市計画の研究と提案のコアです。私の故郷を一緒に訪ねてくれた友人のひとりが、いま千葉商科大学政策情報学部長の原科幸彦先生(当時、東京工業大学大学院生)で、先生は「環境アセスメント」「市民参加」などの分野で国際的にも著名な研究者ですが、先生と、若い時期の経験の重要さ(上記2.)をよく話します。
みなさんは、将来、どんな職業につきたいですか? 公務員? 営業マン? 映像クリエーター? 会社社長?どのような職業についても、どのような方向に向かっても、高校・大学などの時期に学ぶことは重要であり、まちづくりの体験は、一生、心の中心で生き続けます。

あらゆる層の人々の参加

道路は車が走るだけのスペースではなく、歩行者の散歩の立ち話の空間でもあり、自動車の心配がなければ子どもの遊び場にもなります。オランダ生まれの「ボンネルフ(生活の庭)」という計画手法があり、これは、植樹などのスペースを突起させて道を曲げ、また、道路に凹凸をつけて自動車の速度を落とし、生活道路を子どもたちの遊び場にするというものです。フランスの都市計画の友人の説明では、1970年代の始めに、オランダの一人の主婦が、路上駐車によって自動車速度が下がることを発見し、このことがボンネルという計画手法になったということです。ボンネルフは欧州を始めとして世界中に広がり、わが国の優れた住宅地開発にも採用されました。
「釜石の奇跡」を知っていますか。2011年3月11日、あの大震災・大津波の日、釜石市の小中学生の犠牲者は5名に留まり、99%以上の子どもたちの生命が守られたことです。群馬大学教授の片田隆敏先生(防災工学)が長年にわたって小中学生の防災教育をおこなったことが効を奏したのですが、中学生たちが小学生たちの手を引き、小中学生が高齢者などに避難を勧めたということは、子どもたちが非常時に「命をまもる」というまちづくりの最も原理的な行動の主体になったことを意味しています。
多摩川、東京湾、瀬戸内海など、全国の河川や海から、近年の水質浄化や生態系の回復が報じられています。水質浄化の技術開発、法制度の整備、企業の環境行動など様々なアクティビティの結果ですが、その基盤にはあらゆる層の市民活動があります。主婦の知恵、子どもたちの学習、市民の活動が活かされたまちづくりの事例(上記 3.)は多くあります。若者たちの活動はさらに期待されます。

大規模都市開発に活かされる夢

世界の大都市には大企業が集まり、ビジネスマンが行き交い、それが国際経済を動かしています。その中で高層ビルが建てられ、複雑な交通ネットワークが張り巡らされます。そうしたまちづくりにも若者の参加はできるでしょうか?
このエッセイを書き始める前、芝浦工業大学の中野恒明先生(アーバンデザイナー)からFacebookでニューヨークレポートが届きました。ニューヨークの中心、タイムズ・スクエアで、ノルウェーの都市計画事務所による歩行者中心の街路整備が進んでいると聞き、またあの賑わいの場の興奮を思い出しました。
しかし、東京も負けていません。大手町、東京駅、有楽町の新しいビル建設や広場づくりが進んでいます。若者のメッカ、渋谷も、シブヤバレーとも呼ばれ、情報産業の中心として進化しています。昨年開通した東京メトロ副都心線は東横線とつながり、両線をつなぐ地下化された渋谷駅と一体化して、地下7階、地上34階の渋谷ヒカリエが誕生しました。必要のなくなった東横線渋谷駅の地上ターミナルの跡地には、ヒカリエを越える地上43階の高層タワーが建設され、東京オリンピックが開かれる2020年には開業が予定されています。
地下鉄と地上線をつなぐというだけでも大工事で、そこに投じられる技術、資金、組織間調整なども並大抵ではありません。さらに、高層ビルの建設にも、巨大な資金、法制度の裏付けなども複雑・多岐に渡ります。
しかし、渋谷最開発の計画を見ると、そこには、自動車の車線を減らし、昔からおなじみのハチ公前広場やバスの乗り降りのための歩行者スペースを拡大すること、高低差を克服するエスカレターやエレベターを設置すること、大規模な自転車駐輪場を地下にもうけること、渋谷川の水辺空間を再生することなどが盛り込まれています。これらは、これまで多くの都市開発やまちづくりで培われてきた夢です。
渋谷の開発の主な主体は、東京都、渋谷区、東急電鉄、JR東日本、東京地下鉄株式会社などですが、作られるビルディングに入居するショップや企業などは多様です。開発の過程でこれらの事業者は多くの人の意見を求めていて、高校生や大学生も意見を求められるかもしれません。また、それ以上に、若いみなさんは、こうした政府、自治体、企業などに就職して、渋谷の開発や運営に携わることになるかもしれません。最初から大規模で複雑な都市開発をひとりでできる人などいません。こつこつと、政府・自治体・企業の仕組み、マーケティング・金融・法制、環境技術などを学び、情報技術を身につけ、身近なまちづくりの実践を通じて「人と人のつながり」の重要さを理解していくことが大切です。
上記4.に記したとおり、まちづくりのためには「専門知識」と「市民感覚」の擦り合わせが必要です。若者は、まちづくりを学び、実践することで、「市民感覚をもった専門家」に、そして、「専門性を理解する市民」となっていく高いポテンシャルを持っています。現に、30年前私が筑波大学の教師であったとき学生だった人たちは都市開発に関わる多くの企業や大学などのリーダーとなっています。千葉商科大学の先輩たちも、全国各地のまちづくりの先頭に立っています。

もっと! のために

日本創世会議(座長:増田前岩手県知事、前総務大臣)は、先日(2014年5月はじめ)、「極点社会」という言葉の報告書を出し、大きな警告を発しました。極点社会とは、「地方から東京への移動をこのままにしておくと、全国約1800市町村のおよそ半分で若い(20~30代の)女性は半数以下になり、地域の多くは消滅してしまう。東京はじめとする大都市は高齢化が進み、日本の人口減少はさらに加速する」といい2040年に予想される日本の姿です。
私はこの報告を知って、40年前、20代の始めに私が感じた危機感が現実になってきたと感じました。その危機感は、生まれ故郷の都市計画を見て、「大都市の後を追うまちづくりを進めたら、地方都市は崩壊していく」というものでした。商店街の特色が消え、歴史や文化の特色が消えて、生活の場としての地方都市の魅力が消えたことが若者の流出を加速し、それが、地方の独自性ある産業の喪失につながってきたのでしょう。
40年前、残念ながら、当時の私の故郷の大人は、私たち若者の提案を聞く耳を持たなかったのです。しかし、時代は変わりました。環境への意識が大きく変わり、そのことが日本の生活の質を大きく向上させました。いま必要なのは、まちづくりの意識の変革です。お役所まかせにしない、あらゆる立場の人々のニーズに応え能力を活用する、地域の文化を生み出すまちづくりを! 高校生や大学生などの若者は、このようなまちづくりの先頭に立つ高いポテンシャルを持っていて、今の大人はそれを支援する心のひろさを持っています。

解説者紹介

小栗 幸夫