教員コラム

政治・経済・IT・国際・環境などさまざまなジャンルの中から、社会の話題や関心の高いトピックについて教員たちがわかりやすく解説します。

国際

イメージ写真

今、世界の人々がスポーツ界のスキャンダルで注目しているのは、(1)FIFA(国際サッカー連盟)の幹部9名を含む14名が、ワールドカップの放送権や企業のスポンサー権をめぐる巨額の賄賂問題で米国の司法当局から逮捕・起訴されていることや、(2)ロシアの陸上選手をめぐるドーピング疑惑問題で、WADA(世界アンチドーピング機構)の第三者委員会がロシア陸上競技連盟に対して、疑惑に関係した選手のオリンピック出場停止を勧告していることが挙げられます。このロシアの組織的なドーピング疑惑は、旧ソ連時代の「ステート・アマ」(国家から社会的・経済的に支援を受けている特定の選手)の養成からはじまったと言われています。もちろん、これは社会主義国が国家威信の発揚の手段として、オリンピックでのメダル獲得を目的としたことはいうまでもありません。

オリンピック精神はどこへ?

1999年、IOC(国際オリンピック連盟)の本部(スイス)で、オリンピック開催候補都市からIOC委員への多額の賄賂疑惑が露呈し、当時のフアン・アントニオ・サマランチ会長(元スペインのスポーツ官僚だが、後に伯爵の称号を付与される)やIOC幹部が世間から批判を浴びるとともに、賄賂疑惑に関係した幹部がIOCの処分を受けた事件がありました。その背景には、(1)競技種目の増大(1896年のアテネ大会では、参加国14・参加人数245名・8競技・43種目だったのが、2012年のロンドン大会では、参加国204・参加人数10,931名・26競技302種目に膨れ上がったこと)、(2)テレビ放映権料や企業のスポンサー料の巨額化、(3)オリンピック・マ-クやロゴの使用権収入の増大化があります。IOCは過度の商業主義、委員の「たかりの構造」が常態化し、スポーツを通じて国際的な人的交流や世界平和に貢献するというオリンピック精神は失われ、オリンピックはスポーツ・ビジネス業界にとって「金儲けのための打出の小槌」となってしまいました。前会長のアベリー・ブランデージ氏が、クーベルタン男爵のオリンピック精神(アマチュアリズムとしてのスポーツ)の維持に心血を注いだのとは対照的に、サマランチ会長が商業化によるオリンピック資金やその関連資金の「集中と選択」を推進してきたことは、IOCの腐敗の構図をつくりあげたと推測しても間違いはないでしょう。
最近では、2020年の東京オリンピック招致をめぐるJOCの不正送金疑惑問題が大きく取り上げられています。このことは、オリンピックという「スポーツを通じての世界の平和と人々の交流」という美名の背後には、オリンピック市場をめぐる巨大な利権争いがあることが浮き彫りなりました。利権獲得のためには、オリンピック・ロビイストを通じて多額の費用を使い、オリンピック開催候補都市やその関係者がIOC委員への働きかけを行うというこれまでの悪しきビジネス慣習の存在を例証してしまったのです。

今こそ、スポーツの社会的役割を考えよう

こうしたスポーツ・ビジネスをめぐる不正事件があったにもかかわらず、今回のFIFAやロシアのドーピング疑惑問題がなぜ、起こったのでしょうか。
それは、オリンピックをはじめ、さまざまなスポーツの世界大会はビジネスショー化し、今や国際的なスポーツ組織や企業にとって、最も効果的に収益をあげるビジネス機会となったからに他なりません。世界のスポーツ市場は111兆円という巨額な資金集積の場となり、スポーツ・ビジネスの域を超えて、「スポーツ資本主義」(Sports Capitalism)というべき、もう一つの資本主義をつくりつつあります。人間の飽くなき物質欲は、スポーツ・ビジネス市場を拡大させるだけでなく、あらゆるスポーツの国際組織では、自らの利権に血眼のトップリーダーや幹部たちが、大会開催候補地やイベントの選考に際して、企業やスポーツ組織に賄賂を要求し、受け取ってきた歴史があり、これがスポーツ界に不正や腐敗を増殖させました。このような問題を根本的に改革しない限り、スポーツ界はますます腐敗し、社会から見放されていくことになるでしょう。
今こそ、近代スポーツがもたらした<スポーツ・ビジネス化>の弊害を、スポーツの社会的役割の側面から再検討していく必要があると考えています。

解説者紹介

教授 松野 弘