教員コラム

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2016年は、日本の参議院選挙、アメリカ大統領選挙など、大きな政治のイベントが予定されています。日本では、18歳が選挙権を獲得し、憲法改正に関する議論も活発化しています。

そこで、この記事では、最も古い、近代的な成文憲法のひとつとして知られるアメリカ合衆国憲法が、民主主義(democracy)や憲法(constitution)に関して、どのような考えのもとに作られたのかを振り返ることによって、憲法と民主主義に関する基本的な問題を考えたいと思います。

アメリカ合衆国憲法は、1791年までに修正条項と言われる人権に関する規定を含めて、アメリカ各州で批准され発効されました。アメリカは、大きく言って、連邦と州の2つの構成要素からなる連邦制国家です。この連邦の憲法が、アメリカ合衆国憲法です。

今から200年以上前に、アメリカがイギリスから独立した後、合衆国憲法制定を推進した人々は、フェデラリスト(連邦派)と呼ばれました。これまでの様々な研究によれば、合衆国憲法制定を推進した、フェデラリストたちは、「共和主義」(republicanism)と呼ばれる思想を理念として有していたと考えられています。ここで言う、「共和主義」というのは、他者に依存せず、また公共心を有する市民による政治を理想とする思想、と言うことができます。アメリカを建国した指導者たちは、こうした「共和主義」をアメリカにおいて実現することを夢見ていたと考えられていますが、アメリカ建国後すぐに、こうした理想とは異なる現実に直面することになります。アメリカの各邦(アメリカ合衆国憲法制定前の州(states)のことを邦と呼びます)で実際に行われる政治は、私利私欲に駆られたり、個人の財産権を侵害するような無茶な立法を行ったり、暴動を起こすなど、無秩序な政治が行われます。もはや、「共和主義」が想定したような市民はおらず、その時々の気まぐれや熱情に動かされる民衆の存在に直面するわけです。

そこで、フェデラリストたちは、新たに邦を超える連邦と、連邦の憲法を作る際には、こうした民衆の意思を政治に直結させる直接民主制ではなく、少数の代表者による政治、代表制に特別の意義を見出します。フェデラリストのひとりで、後の第四代大統領であるジェイムズ・マディソンは、民衆の意思が政治と直結される民主政と、公平で私利私欲のない賢明な代表者による政治である共和政を区別し、後者こそがアメリカ合衆国憲法が目指す政治制度であるべき、としています。賢明で公平な代表者によって、民衆の偏見や欲望、一時的な激情から離れて、より優れた政治がなされると考えられたわけです。また、これに留まらず、連邦や州の政府、議会が暴走して、憲法の規定に違反し、個人の人権を侵害する際の歯止めとして、議会が作った法令などが憲法に違反していないか、合衆国の裁判所が審査するという、違憲審査制も作りました。さらに、こうした憲法が容易に覆されないようにするために、通常の法律よりも憲法改正を難しくしました。

このように、合衆国憲法の制定者たちには、民主主義に対する警戒や不信を根強く持ち、民主主義の弊害を、憲法とそれに基づく制度によって抑え込もうとしたと言えるかもしれません。

一方、アメリカ建国を主導した人びとの中には、これと異なる考えを持つ人もいました。それが、現在2ドル紙幣の肖像画にも採用されている、トーマス・ジェファソンです。ジェファソンも、先ほど述べた、「共和主義」を理想としていましたが、自分の土地を有する独立自営の農民が多かった当時のアメリカにおいてこそ、他者に依存しない自立した市民が成長し、「共和主義」を実現できると考えていました。また、ジェファソンは、民衆の道徳心や判断能力に信頼を置き、ジェファソンの支持者らは、フェデラリストが考えるようなエリートによる支配よりも、民衆の意思がより政治に反映されるべきであるとし、そうした民衆により近い州を重視していました。ジェファソンやその支持者らは、民主主義により近い立場にあり、民主主義に対する信頼があったと言えるでしょう。

ジェファソンの民主主義に対する信頼は、彼の憲法論にも反映されています。ジェファソンは、憲法改正を困難にすることに反対します。遥か昔の世代によって作られた憲法になぜ後の世代が拘束されるのか、彼はそのように疑問を呈します。そして、各世代が自分たちに合うように憲法を変えていくことを提案します。また、民衆から選挙によって選ばれたわけではない、合衆国裁判所の裁判官が違憲審査権を持ち、憲法の最終的な解釈権を独占することにも警戒的でした。

こうしたジェファソンとその支持者らの立場は、民主主義に対する信頼を基礎に、その時代を生きている民衆の判断を、政治はもちろんのこと、憲法にも直接反映させることを重視したと言えます。

以上のように、アメリカ合衆国憲法制定の前後に見られた議論には、憲法と民主主義の間の抜き差しならない関係を見ることができます。一方で、現代においては、憲法や憲法判断を担う裁判所と、民主主義を、うまく調和させようとする様々な見方が存在します。たとえば、表現の自由のような憲法に規定された権利が保障されてこそ、民主主義は正常に機能するという見方、以前の世代に作られた憲法と違憲審査制を通じて、その後の世代の民主的な決定に一定の拘束を設けることによって、一時的な熱狂に陥りがちな民主主義を安定させることができという見方、などです。

しかし、この先、ある時代を生きる人々が、こうした見方を踏み越えて、以前の世代が作った憲法はもはや時代に合わない、それを根本から変えたい、とすることがあるかもしれません。また、フェデラリストが希望を見出した代表制や、それを通じて選ばれる政治エリートに対する人々の不信が、世界的に広がっているように見えます。

一方、現代においては、ジェファソンがかつて理想としたような、独立自営の公共的な精神を持った市民の存在もなかなか難しくなっています。多数の人は被用者として働き、会社や組織に翻弄されながら暮らし、公共的な事柄を考える時間はあまり多くありません。情報社会の中で、人々の判断や感情は、より移ろいやすく、瞬間的なものになりつつあるとも言われています。合衆国憲法制定の時代よりもずっと複雑な社会になっており、憲法と民主主義の関係を踏まえて、どのような法制度や政治制度を構築すべきか、その考察はますます困難になっています。しかし、憲法と民主主義、代表制、違憲審査制などが抱える基本的な問題は、既にアメリカ合衆国憲法制定の前後に提起されており、ヴァージョンを変えて何度も噴出しているとも言えます。アメリカは連邦制国家であり、日本とは国の構造が異なりはしますが、合衆国憲法制定前後の議論は、憲法と民主主義の関係を考える際に、現代の日本に対しても考察の座標軸を提供してくれます。

【参考文献】

  • A.ハミルトン、J.ジェイ、J.マディソン/斎藤眞、中野勝郎 訳『ザ・フェデラリスト』(岩波文庫 1999)
  • 阿川尚之『憲法で読むアメリカ史 全』(筑摩書房 2013)
  • ゴードン・S.ウッド/中野勝朗 訳『アメリカ独立革命』(岩波書店 2016)
  • スティーブン・ブライヤー/大久保史郎 監訳『アメリカ最高裁判所 民主主義を活かす』(岩波書店 2016)

解説者紹介

田野 宏